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障害学会第13回大会(2016年度)報告要旨


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長谷川 唯(はせがわ ゆい) 日本学術振興会/京都府立大学

■報告題目

負担の分散で生じる不利益集中―ALSの人の地域生活から

■報告キーワード

介助/自己決定/負担の分散

■報告要旨

 本報告の目的は、ALSの人の地域生活を事例に、ALSの人にとって地域生活がどのようなものであり、そこでの自己決定の価値規範がいかに難いものとして存在し、地域生活のあり様を規定しているのかを明らかにすることである。
 ALSは、全身の筋力が徐々に弱まっていく原因不明の難病である。症状の進行には個人差があるものの、全身性の重度の身体障害を伴うため、その生活には24時間の介助が必要となる。その生活からも明らかにされるように、本人が提示する地域生活のニーズに対して、ニーズとして認められたとしても、それ自体を肯定できない場合がある。
 ここでALSであるSの事例をみてみる。Sは、介助のやり方が合わないと言って、介助者を断ることがしばしばあった。このとき、Sは自分が望む介助のやり方を何度も伝えてきたと主張した。介助者側は、これまで行ってきた介助の行き詰まりや身体症状の変化についても無視できないことから、Sの主張を肯定する、Sの望む介助の実現に向けて介助技術の見直しや修正に取り組む。それでもSと介助者との間で解決に至らずに、Sが介助者を断ることが多く、介助体制の構築、維持には困難をきわめた。
 その要因のひとつには、そもそも介助者が不足していることがあげられる。さらにより重要なこととして、新たに介助者を採用するという選択肢があったとしても、それが要員としてすぐには機能しないということがある。文字盤やたんの吸引、車いすへの移乗などのケアの習得には時間を要した。多くの場合、介助に慣れている介助者とともに取り組み、その積み重ねによって必要な知識や技術を習得していく。その上で、単独で介助が担えるかどうかは、介助を受ける本人の判断に委ねられる。そのため、介助者にとっては、介助を担う要員の増員は強い望みであったのだが、その判断はSに委ねざるを得ずに、新たな介助者の獲得には困難をきわめた。それだけでなく、これまでSの介助や看護を担っていた人たちやその派遣をしていた事業所までもが、Sから拒否されてしまい、生活そのものが立ち行かなくなってしまう事態になってしまっていた。
 障害学が示してきた重要な知見のひとつは、障害者本人とその周囲の視点が、必ずしも同じではないことである。Sの事例からみえるのは、負担の分散先である介助者を増やすことが、Sにとっては必ずしも負担が分散されたとはいえず、かえってそのことがSにとって不利益の更新になってしまうということである。だが、ここで問題なのは、おそらくSの望む介助ができないことがSから拒否される可能性をもつことを認めたとしても、その技術を修正しようとしたところで、本人から拒否の理由が明確に示されない限り、はたしてそれが適切な対応かどうか、知るすべはない。このように、問題は潜在化されたまま、介助者の適否や介助の出来不出来は、本人の自己決定に委ねざるをえない。こうしたなかでは、負担を分散することやその負担先を特定することも難しく、結果的には本人が更新された不利益集中を引き受けざるをえない状況がうまれてしまう。
 本報告では、ALSの地域生活を考えるにあたって、いかにして本人の視点に立ち、その主張のあり様を明らかにしていくかについて考えたい。
 なお、本報告は所属研究機関から倫理教育を受けており、研究倫理を遵守したものである。

文献
星加良司,2007,『障害とは何か――ディスアビリティの社会理論に向けて』生活書院.
立岩真也,2002,「ないにこしたことはない、か・1」石川准・倉本智明(編)『障害学の主張』明石書店.



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