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障害学会第12回大会(2015年度)報告要旨


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長谷川 唯 (はせがわ ゆい) 日本学術振興会 / 京都府立大学

■報告題目

難病の障害学に向けて──疾病と障害の共存への批判

■報告キーワード

難病 / 疾病と障害の共存 / 不利益集中

■報告要旨

 障害者権利条約の批准に向けた国内法整備において、障害の範囲に難病が含まれたことは記憶に新しい。障害者基本法第2条では、「障害者」を、身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能の障害がある者あつて、障害および社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」として規定している。ここでの難病者は、その他の心身の機能の障害がある者として解釈される。また障害者総合支援法では、「治療方法が確立していない疾病とその他の特殊の疾病であって政令で定めるものによる障害の程度が厚生労働大臣が定める程度である者であって十八歳以上であるもの」として明記された。
 2014年5月には、「難病の患者に対する医療等に関する法律」(難病法)が成立し、難病者の人権が法的に位置付けられた。それによれば、難病者は、「発病の機構が明らかでなく、かつ、治療方法が確立していない希少な疾病であって、当該疾病にかかることにより長期にわたり療養を必要とすることとなるものをいう」と規定されている。そして第2条では、「難病の克服を目指し、難病の患者がその社会参加の機会が確保されること及び地域社会において尊厳を保持しつつ他の人々と強制することを妨げられないことを旨として、難病の特性に応じて、社会福祉その他の関連施策との有機的な連携に配慮しつつ、総合的に行わなければならない」と明記されている。
 こうして社会モデルを基礎とした障害者権利条約の完全実施に向けた取り組みの一環として、難病者について法的に整備されてきた。しかし実際には、難病者の人権保障やその生活には、様々な社会的障壁が存在している。たとえば、特定医療費助成の対象となっているのは306疾患であり、それ以外は対象にはならない。さらに、他の障害者にかかる施策は、その判断にあたって、難病そのものを対象としているのではなく、難病に起因して生じてくる身体障害にもっぱら焦点があてられ、「身体障害者」として認められなければ制度を活用して生活することができない状態におかれている。それはいいかえれば、難病が難病としてではなく、そこから起因して生じる身体障害をもちえなければ、障害者として認められないということを意味する。
 難病者やそこにかかわる団体や人々は、難病によって社会的不利益を被る状態の解消を目指して、社会モデルに基づく施策の実現や支援の在り様を主張している。ここで重要なのは、「社会モデル」の理解に誤解が生じているということだ。このことは、難病者が医療を必要とする患者であり、障害者でもあるという議論の枠組みから読み取れる。そこでの議論は、難病者の目的には治すことや治療研究を進めることがある一方で、それは社会モデルではなく医療モデルの考え方であるという批判を含むものだと理解されてしまっている。つまり、社会モデルでは治すことや治療研究を進めることが否定されるものだという誤解が生じているのである。また、そこでの主張は障害と疾病を分けてなされている。たとえば、障害者の立場からは福祉面――介護とか障害年金などの整備が求められ、一方、患者という立場からは治療研究の発展や医療費助成の充実が求められる。
 社会モデルに立ち戻れば、こうした疾病と障害をわけて主張していくことそのものが、社会モデルを誤解している現れであると理解することは容易である。社会モデルの主張は、障害の原因を個人ではなく社会に求めたことではなく、障害の義務や負担を個人が負うべきでないとするところにあるからだ。社会モデルが、障害の原因を社会に求めることを主張していると捉えてしまうと、インペアメントを治すことを否定してしまうことになる。社会モデルの核心が、原因帰属ではなく責任帰属であることは、これまでの議論で確認されてきたことだ。
 ただ、不利益の中からディスアビリティが特定可能であるとしながら、その基準など明確に示し得ていないことがあまりに多いことは事実である。さらに言えば、医学モデルと社会モデルにおける差異を明確に示し得ていないことも、こうした誤解を招く大きな要因としてある。障害学の課題を再確認することによって、疾病と障害の共存の批判を試みたい。
 なお、研究倫理・倫理的配慮については、所属研究機関等により指導を受けている。



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