障害学会第11回大会(2014年度)発表要旨ここをクリックするとひらがなのルビがつきます。 ルビは自動的にふられるため、人名等に一部変換ミスが生じることがあります。あらかじめご了承ください。
末森 明夫(すえもり あきお) ■報告題目
『日本聾唖恊會創立恊議委員會記録』攷 ―〈聾唖〉と〈聾〉における当事者性の相克― ■報告キーワード 聾唖 手話 ■報告要旨 近年の障害学においては、当事者性の多元的考証を図る動きが顕現化している。しかし、近代初期日本の聾唖共同体における当事者性の本質及び位相の考証は、聴覚障害者の当事者性の史的展開を図るにあたり必要不可欠な作業であるものの、そのような先行研究は皆無に近い。 一般財団法人全日本聾唖連盟の実質的な前身にあたる社団法人日本聾唖協会は、日本聾唖協会創立協議委員会(大正3年)を経て大正4年に創立されている。日本聾唖協会創立協議委員会に関しては、大正4年に刊行された『日本聾唖恊會創立恊議委員會記録』がある他、昭和15年に刊行された『聾唖界』90・91合併号に所収されている「社團法人日本聾唖協會創立二十五年史」がある[註1]。本稿では日本聾唖協会創立協議委員会に焦点を当て、関連史料の社会言語学的ないし社会学的考証を行い、近代初期日本の聾唖共同体における〈聾唖〉及び〈聾〉の当事者性の本質及び位相の検証を通して、障害学の当事者研究に照射することにより、障害学への寄与を試みる。 2.〈聾〉と〈聾唖〉 「社團法人日本聾唖協會創立二十五年史」には日本聾唖協会創立協議委員会に出席した委員(12名)の氏名及び所属の他に属性〈聾唖〉ないし〈聾〉が記されており、〈聾唖〉は7名、〈聾〉は5名に上っている。〈聾唖〉と〈聾〉はそれぞれ現在の「聾」と「中途失聴/難聴」に該当するものと考えられる。 更に、当該資料には以下のような記述が見られる。 この協議会は委員が全部聾者乃至聾唖者のみから成り立って居る関係上総体に於て聾唖者の境遇に重きを置き全然常人の容喙を許さないばかりでなく、聾者よりも寧ろ聾唖者を主として討議を重ねられたのである。 「社團法人日本聾唖協會創立二十五年史」の執筆者、三島氏は、日本聾唖協会創立協議委員会にも出席し、〈聾〉と区分されている。「社團法人日本聾唖協會創立二十五年史」が日本聾唖協会の機関誌『聾唖界』に所収されていること、〈聾〉者自身が上記のような所感を述べていることより、当時の聾唖共同体においても聾唖者の主体性が保障された会議が望ましいものというような認識が少なからずあったものと覚しきことが窺われる。しかし、それは裏を返せば、〈聾唖〉と〈聾〉が同席するような会議では〈聾〉者が会議の主導権を持つことが少なくなかったであろうことをも物語っているものとも考えられる。 3.日本手話と日本語 『日本聾唖恊會創立恊議委員會記録』には手会議における使用言語を巡る記述が見られる。
(三番)「記述にて論戦せんよりは須く手演にて議論したし」 発言者を指す三番は〈聾唖〉、八番は〈聾〉である[註2]。この記述より、大正時代初期、既に手話を巡る様々な見解が存在していたことが窺われる[註3]。また、この会議では書記3名が設けられたが、いずれも〈聾〉であったことが判明しており、〈聾〉の方が〈聾唖〉よりは書記日本語に長けていた当時の状況を窺わせる。 限定的史料に基づく類推に過ぎないものの、手話による自由闊達な議論を望んだ〈聾唖〉と、会議においては手話言語よりは書記日本語に重きを置いていた〈聾〉と、という当時の聾唖共同体における当時の日本の聾唖共同体における〈聾唖〉と〈聾〉の複雑な言語位相(「〈聾唖〉-日本手話」と「〈聾〉-日本語」)及び相補分布的状況が窺われる。 4.まとめ 日本聾唖協会創立協議委員会に関する史料より、〈聾唖〉と〈聾〉を巡る当時の聾唖共同体における〈聾唖〉及び〈聾〉を取り巻く複雑な言語位相と階層構造が窺えることを明らかにした。近代初期日本の聾唖共同体における〈聾唖〉と〈聾〉を包含する聴覚障害者当事者性の本質及び相互作用の史的展開を図ることにより、現在の聴覚障害者共同体における当事者性の理解を深める作業への寄与を図ることができたものと考えられる。
註
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