障害学会第11回大会(2014年度)発表要旨ここをクリックするとひらがなのルビがつきます。 ルビは自動的にふられるため、人名等に一部変換ミスが生じることがあります。あらかじめご了承ください。 SEINO(せいの) 東京工芸大学大学院芸術学研究科 ■報告題目 障害者に表現主題を置く人間学的芸術の社会的意義 ■報告キーワード 拡大された芸術概念・人間学的芸術家・芸術の社会的意義 ■報告要旨 「障害者と芸術」というテーマについての研究は常に、誰も疎外・排除されない社会の実現を目標に掲げたエイブル・アート、正式な美術教育を受けない者が制作した作品を指すアール・ブリュット(アウトサイダーアート)などにおいて、障害者の制作した作品や、援助者のあり方に主題がおかれ議論されている。障害者を表現者として迎えた芸術利用は、医療・福祉的枠組みから、療法的役割や余暇の充実として始まり、経済学者アマルティア・センの「潜在能力アプローチ」の発展(セン,2013,p.9)と、心理学者ウィリアム・ジェームズが「自我の領域における自己評価の感情」と定義づける「セルフ・エスティーム」の充実(遠藤他編,1998,p.12)を目標に発展を遂げ、社会に向けた障害者の潜在的能力や存在意義を明示するのに成功している。一方、障害者に表現主題を置く、健常者芸術家による芸術活動は、これまでの芸術概念とは一線を画す、そのデリケートな主題を扱ったセンセーショナルな表現により、批判的見解を示す者も少なくない。しかし、これまでの芸術概念を根底から覆し、真の芸術のあり方を、身をもって示したドイツの芸術家、ヨーゼフ・ボイスが、障害者に表現主題を置く芸術の社会的意義に繋がる多くのヒントを残している。共同主観において常識化された障害概念のパラダイム・シフトなくして、不可視化された障害者問題の根本的解決は望めない。 筆者は、芸術家としてのキャリアのほとんどを障害者に主題を置いた芸術の研究・制作に費やしてきた。芸術家の仕事とは、人々が生きる上で遭遇する困難からの逃避や、余暇の先にある額縁の中だけの快楽を提供するのではなく、社会との関わりの中で、その活動と作品の社会的存在価値を見いだすことに意義がある。今日の芸術は、「孤立型芸術」として閉塞的に専門を追求するか、「イデオロギー型芸術」として社会の副次的需要に魂を売るかの二者択一を迫られる註)。しかし、本来の芸術の役割とは、ボイスの「拡大された芸術概念」という人間学的芸術概念に提唱される、人間と社会のより良い関係形成に向け、現社会の歪んだ秩序に刀を振り下ろすことにある。 障害者という主題に真摯に向き合い、多彩な切り口で表現された作品は、芸術でしか成し得ない役割と圧倒的な魅力が宿り、健常者と呼ばれる人々の価値観に基づく偏った社会規範の中に潜む障害者問題への警報装置を鳴らす。今日、芸術が多様化の一途を辿る中、障害者に表現主題を置く芸術はあまりにも数少ない。本発表では、これまで芸術とされてきた活動や作品の狭い概念を問いただし、ボイスの「拡大された芸術概念」と不可視化された障害者問題を形成する社会規範の脱構築を関連づけることにより、障害者に表現主題を置く人間学的芸術の社会的存在意義を導き出す。また、法制度の改革、障害者運動、教育や福祉の充実などの方法をとらず、芸術という媒体を通し社会への抵抗を試みることの独自性を整理し、人間学的芸術による社会規範のパラダイム・シフトの可能性を探る。さらに、既存の障害者に表現主題を置く芸術や芸術家を取り巻く問題を検証することで、障害者に表現主題を置く人間学的芸術家のあり方について方向性を示す。 註)資本主義経済が発展を続ける現在、もはや芸術は人間の社会的活動に全く影響を及ぼさず、芸術の枠組みの中で完結する「所詮は余暇の慰め」だとか、「天然記念物の保護区」のような社会とは切り離された「副次的な存在」と化してしまっている(エンデ,2005,p.190)。芸術はその権威を守るため、「芸術のための芸術研究」に没頭し、専門家しか理解し得ない高尚な学問領域に至り、「孤立型芸術」として閉塞状態に陥るか、資本主義のピエロとなり「イデオロギー型芸術」として、趣味や余暇の枠内で現実逃避や精神安定剤としての癒しや慰めを提供するか、あらゆる商品の付加価値として、懸命に技術やアイディアを捧げ、豊かさの象徴としての消費中毒を助長するか、組織の意図に仕え、プロパガンダや自己顕示欲の道具に成り果てる。そして今日、「孤立型芸術」は社会からその存在を無視され、「イデオロギー型芸術」の需要ばかりが目立ち、社会的存在意義を損失した「アートと呼ばれる錬金術」が、まるで一種のステイタスでお洒落な装飾品のように蔓延してしまっている。
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