障害学会第11回大会(2014年度)

障害学会第11回大会(2014年度)発表要旨


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藤原 良太(ふじわら りょうた) 法政大学大学院社会学研究科修士課程
三井 さよ(みつい さよ) 法政大学

■報告題目

就学運動における「教育」と「介助」とは――「関係」という視点からの検討

■報告キーワード

■報告原稿
fujiwara.doc(MS Word 97-2003ファイル)

就学運動、関係、障害

■報告要旨

 本報告は,就学運動における議論や実践を振り返るものである.ここでいう就学運動とは,「普通学級」で学ぶことが「適当でない」者として「障害児」を選別し,特殊学級や養護学校に振り分けるのに抗し,実際に,「障害児」が普通学級で学ぶことを実現させてきた,1970年代の日本で広がった運動である.

 障害学において就学運動が取り上げられることは少なかった.そうした中,本報告は,就学運動における「介助」の考え方や「教育」へのこだわりを,子どもたちの「関係」に対する取り組みとして捉えることで,従来とは異なる「教育」や「介助」への視座を示す.

 まず,「介助」について述べよう.障害学において介助が論じられる際には,「障害者」と介助者の関係のあり様や葛藤が論じられ,その関係はただ単に介助する/される関係ではないことが論じられてきた(前田 2005).ただ,そこで前提となっているのは,介助者が介助をするということと,介助をするから「障害者」と関わるということである.

 これに対し就学運動においては,介助者による介助と子どもたちがする「介助」とでは別のものとして考えられていた.

 たとえば「一緒に食事をする」関係――たまたま居合わせてしまった者同士の関係や,「友だち」という関係――にあった人たちによって,結果的に「食事介助」はなされているが,これはその人たちの関わり方でしかない.そこに「仕方なく」という動機はあったかもしれないが,責任を負い,生活を支え合うといった発想は必ずしも存在しなかった.介助はしないが介助を必要とする者と関わるという人もおり,複数の関係が存在した.

 障害学は,必要とされるものとしての介助,それを提供する者と受け取る者の関係について議論を重ねてきた.そこで介助者は,介助的ニーズがあるから介助を提供する. しかし就学運動においては介助者もまた,複数の関係の中に存在し,そこでは必ずしも介助は必要なものとして浮上しなかった.介助者は,子どもたちの「関係」を考えながら,何をし,何をしないのかといったことや,距離の取り方を決めていた.

 「障害児」と他者の関係が,介助者の関わり方を規定するし,介助者の関わり方は,「障害児」と他者との関係に影響を与える.この意味でも,介助者は単に必要とされる介助を提供する存在ではなかったのである.

 また障害学において「教育」は,「能力主義」を批判的に検討する議論や(立岩 1997),学校という場において「障害児」が被る不利益を特定し,批判する議論において論じられてきた(金澤 1999).それに対して,就学運動は教育を批判しながら,それにこだわった.それは教育によって可能となる「関係」が確かに存在したためでる.

 一方では,就学運動における教育の空間は,授業の内容といった,子どもたちが共有可能なものが,教師という媒介者を媒介して,生徒たちに伝達されるものとして描かれた. その空間では,生徒が媒介者となって他の生徒に関わることもあるし,サボるなど,共有可能なものには関係の無い関わりが生じる可能性もある.

 就学運動においては,この共有可能なものから何を,どのように「学ぶ」のかは子どもたちに委ねられていると捉えた.そして,その子が「学ぶ」ことができるかどうかに教師は関わってしまう.そこでの子どもたち同士の関係は,「できる」者と「できない」者とはいえないし,教師と子どもたちの関係も「教える」者と「教えられる」者とはいい難い.その意味で,就学運動は優れて能力主義批判としての側面を持っていた.

 他方で,就学運動が教育を批判しながらもそれにこだわったのは,ひとつに,「学ぶ」ということが,人が何かを獲得することで,状態Aから状態Bに変容する,指向性をもった過程だからである.これから何かを学びうるという地点で,子どもたちは横に並ぶ.その意味では,徹底して「対等な」立場に置かれるのだともいえる.

 そこで複数人が同じ方向を目指し,手伝ったり,教え合ったりしながら(各々が)何かを達成するということもあり,「できるようになる」ことに伴う快や喜び,驚きを共有しあえる関係があった.

 就学運動における「教育」は,単に「能力を相対化する」(石川 2004)だけでなく,その先の課題である,その上で人と人とがどのように関わりうるのかということを考え,実践していたのである.

[文献]
石川准,2004,『見えないものと見えるもの――社交とアシストの障害学』医学書院.
金澤貴之,1999,「聾教育における『障害』の構築」石川准・長瀬修編『障害学への招待――社会,文化,ディスアビリティ』明石書店,185-218.
前田拓也,2005,「パンツ一枚の攻防――介助現場における身体距離とセクシュアリティ」倉本智明編『セクシュアリティの障害学』明石書店,168-208.
立岩真也,1997,『私的所有論』勁草書房.



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