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障害学会第11回大会(2014年度)発表要旨


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相真 良央(さがら まお) 熊本県発達障害当事者会Little bit

■報告題目

発達障害当事者会研修・交流イベント―当事者視点~常識を再考し可能性を探る―

■報告キーワード

発達障害 当事者会 当事者主体

■報告要旨

本報告の目的は発達障害当事者の自己表現の場としての「舞台」の必要性とそれらを当事者自らが創る意義また課題について当事者主体イベントの経緯を踏まえつつ明らかにすることである。

運営に関わっている熊本県発達障害当事者会Little bit(リルビット)が設立三周年を迎えるにあたり、広く一般へ当事者会とその周囲環境整備の必要性、また課題を訴える機会ととらえ当事者会主催のイベント「発達障害当事者会のリアル―闇がなければ光は見えない―」を開催した。

発達障害当事者としてイベントの運営に関わる中で、仲間である他者と共に自己表現の舞台を創ることの意味と必要性を実感した。理論上の理解はできても実体験は全く違う視野を拓かせる。自ら目的を定め他者と共に向かう機会は失敗体験を重ねた当事者に特に少なく、貴重な経験となる。当事者会は「問題を解決し合う」場と理解されやすいが発達障害者の場合「問題」が深い分「能力」も相当なものであることが多い。個々の隠された能力・得意分野に気付き共に活かし合う中で「問題」も解決されていくケースが良く見られる。マイナス面を見つめる作業を続けてきた成人発達障害当事者にとって、傷を直接触って治すより傷の周囲の組織を健康にした方が早く効果的な場合が多いのである。イベントはその効果を端的に示した部分が大きい。

当事者会の「リアル」公開のノイズとなる恐れのある物事をできる限り削ぎ、当事者会の現状また等身大の当事者を公開する目的を徹底する為、出資者の意図が入らないよう全てイベント内での収支とし助成金に依らなかった。また意図合わせや共同作業に精神的負担感の大きい発達障害者の特性から、イベントの目的に沿う一人一人の意思をそのまま表現した。結果告知ポスターは四種類となり、当日にそのまま作品として展示も行った。イベントは十時から二十時までとし「無理のない範囲」を敢えて超えた。また計画的であることを前提とせず、準備作業スケジュールや広報はできるタイミングで各自が行った。一般的な社会評価としては常識外れの部分も大きかったが主体である発達障害当事者の負担を減らし、一人も脱落せずイベントを開催するという目的を達成する為には必要な「捨てる」作業であった。

当事者会の姿を公開するという目的から堺市の当事者会運営者を招き、他の発表者と対等な立場での講演を依頼した。発表者と参加者の間の立場や距離等のファクターを除くため来場者参加型ワーク等の時間を多く取り、「話すだけ」「ためになる」との安易な企画に陥らないよう注意した。感性披露試者会と題した当事者作品展示、一当事者が編集長となり製作した会報誌の頒布等も行った。

発達障害に関する書籍等の多くは利便性が高い一方、当事者は「問題を抱えた人・助けるべき人」との単純な印象を与えやすい。イベントでは、当事者の抱える問題は当事者と周囲・社会との「間」にあるものであることを伝え、また当事者の独自の感性を発信することで、当事者間また周囲との間の溝を埋め、コミュニケーションは互いにポジティブな興味を持つところから始まるという意識を徹底した。

今後の課題として、イベント開催を遂行の為敢えて諦めた部分について再考したい。また、運営内部で目的意識を一本化し適宜確認する必要性を感じた。口頭では理解が困難な者も存在する為文書・図式化なども検討したい。義務・責任等の言葉に敏感な当事者は、自分の役割であると自ら意識した物事に対して完璧に近い仕事ができる一方、責任の重圧感を周囲へ溢れさせやすいことにも改めて気付かされた。連携作業が不得意なことも多い当事者がチームとなって一つの目的に向かう際の困難を減じる為の工夫を模索したい。 発達障害当事者、また広く一般市民は「当事者会のイベント」を必要としている。それは隠されたニーズであり、「目立つ」ことをする力があるなら本来の活動であるはずの自助に向けるべきとの批判もあろう。しかし、「自助会」「会内部での自助活動」に限界があるからこそ、今回のイベントが行われたのである。今回のリルビットの目的は、当事者、家族や支援者、また広く市民らの「発達障害者に対する真のニーズ」を掘り起こすことにもあった。その為に自身も運営に携わる当事者会の現実をそのまま公開したのである。確かに会の力の大きさは日々実感できる程のものだ。しかし、既存の自助会と性質の異なる「発達障害当事者会」の地を当事者自身が一歩ずつ進む中、その「リアル」は厳しく、問題は山積し生まれ続けている。しかしその暗部を敢えて晒すことから当事者の生き辛さの解体が始まると信じる。

発達障害の「正しい」理解は真の意味ではあり得ない。それは人間を理解することが不可能であることと同義である。だからこそ今後も、当事者が自らを考え続ける姿勢を公開し、周囲との理解を「目指し合う」企画が必要だ。



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