>HOME 学会シンポジウム2「障害学とソーシャルワーク」 障害学会第5回大会 於:熊本学園大学 ◆要旨 1.立場 (1)障害学において 障害学との出会いは、社会福祉研究室に在籍する大学院時代です。かれこれ10年ほどになります。研究会での議論は、社会福祉学領域ではあまりでてこないような話に大変魅力を感じました。 (2)社会福祉領域において 以前、福祉業界の大御所の先生に「福祉界にどっぷり浸かっている人からは反感、反発を買うかもしれないけど、醒めた目で福祉なるものの群生を見届けている人も必要だからね」と言われたことがありますが、そんな研究をしています。 2.ソーシャルワークの現状認識 (1)社会福祉領域の「ポストモダニズム」=反省的学問理論について きわめて社会福祉学の内輪の話をさせていただきますが、近年では「ポストモダニズム」のソーシャルワーク理論が少し議論になりました。代表的な「ポストモダニズム」のソーシャルワーク理論として、「エンパワメント」「ストレングス視点」「物語理論」などがあげられます。 私はこうした「ポストモダニズム」のソーシャルワーク理論を「反省的学問理論」と言い換えています。というのも、ソーシャルワーク領域以外で流通している「ポストモダン」概念とのズレがあると考えたからです。本の中では、「閾値がある」という言い方をしていますが、これは、専門家の側の「堪忍袋の緒は切れるようにできている」ということです。 アン・ハートマンという人は、こんなことを言っています。 「数ある真実のうちの一つにすぎないことを認識」しながら、過去に犯した過ちを再び繰り返すことなく、慎重に適用されなければならないと説く。特に、「反社会的と定義される行為」がある場合には、「阻止、もしくは防止するように介入」しなければならないと論じた(Hartman[1993:366])。 つまり、ソーシャルワーカーはある一定の範囲内で、対等な立場に立ち、「ポストモダニズム」のソーシャルワーク理論や援助観にしたがって援助するということです。この限界を超えると、介入が奨励され、ソーシャルワーカーが優位に立つことになります。これは、リスクを回避するための閾値とも言えますが、それが過去に批判されたような恣意的な権力濫用を避けるためにも、次に述べるデータに基づく実践が推奨されています。 (2)現在の専門家の立ち位置について――障害学的が提唱する、望ましい姿とは? このように、反省的学問理論により、専門家の立ち位置は、より利用者に近づいたように思えるが、そうではないことがわかります。このことを、以前に「専門家は、一方の手に反省的学問理論、もう一方の手にデータに基づく権限をもって実践に臨んでいる」(三島〔2005〕)と書きました。絵で書くとこんな風です。右手に反省的学問理論、そして左手に権限があって、それを支えているのがデータベース。 3.ソーシャルワークの課題 (1)今の専門家に対してどのように向かい合うか? では障害学として、こうした傾向に対してどのような対応をとったらいいのでしょうか。 まず、Michael Oliver & Bob Sapey 1992 Social Work with Disabled
people( 2nd edn). Macmillan.などを書いているボブ・サペイの見解を少し紹介したいと思います。(Sapey, B. (2004)
Practice for What? The Use of Evidence in Social Work with Disabled People,
in D. Smith (ed.) Evidence-based Practice and Social Work, London, Jessica
Kingsley.)彼はまず、オリバーが調査を批判したことをあげています。オリバーによると、従来の調査は、個人‐悲劇モデルを支えるものです。そして社会モデルに基づいた、障害者がコントロール権をもつ正しい調査をするべきと主張しました。 (2)言葉を細かく見る 最初に申し上げたように、障害学的な主張は軽く流されているような気がしてなりません。なかでも、同じ言葉でも障害学とソーシャルワークとでは意味が違うために議論がかみ合わず、流されてしまうことがあるように思われます。 たとえば、「社会資源」という言葉があります。この言葉は、たとえばセルフケアマネジメントのときに使われたりします。ですが、現在の社会福祉領域では、社会資源として親が含まれています(実は、ソーシャルワークにおいて親が含まれない時期もありました。時期的には、「福祉国家の曲がり角」と言われた時期に親までが含まれるようになりました)。それは、たとえば自立生活運動のあり方とは違ったものということができます。 他にも、ニーズ(必要、ニード)なども同じような間違いが起こる危険性があります。といいますのも、ソーシャルワークでは、利用者が感じる「フェルト・ニーズ(felt needs)」と専門家などが共有する「ノーマティヴ・ニーズ」があり、「面接を通じた信頼関係の構築」により、「真のニーズ」に近づくものというような教育がなされているからです。 こうした、同じ言葉を共有するからこそ生まれる齟齬というものに注意をしていく必要があると思いますし、そこから対話が始まるように思います。
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