>HOME 学会シンポジウム2「障害学とソーシャルワーク」 ◆趣旨 1.立場 (1)幼少時から、大学進学そして現在の職場まで 3歳頃より両耳の感音性難聴で、補聴器を使用している。身体障害者手帳4級を所持。最近は、補聴器の性能低下なのか以前より聞き取りにくくなっていると感じている。授業中でも学生の質問などに難儀を覚える時が多々あり。 幼少時より漠然と「障害者に関係する仕事」に就きたいと思い、そのまま大学も福祉系のコースのあるところに進学した。小、中、高校は普通校だった。大学ではS.フロイトの著作に感銘を受け、障害は障害でも身体障害や聴覚障害ではなく、精神障害者に関する研究を卒業論文にまとめた。 大学卒業時に、福祉職に就くのかどうか迷った。やはり難聴だとソーシャルワーカーとして業務に支障が大きいのではという思いこみで、自主的に福祉の道を断念し、一般企業にすすんだ。しかし、働きながらも精神医学系の本を読んでいる自分に気付き、社会福祉を学び直そうと思い、4年で会社を退職し、母校の大学院に進学した。指導教員の「これからは聞こえないソーシャルワーカーという存在が必要」という言葉が支えになった。 大学院修士課程では、最初は危機介入を勉強していた。危機介入が適切になされていれば精神障害者の地域生活は円滑にすすむ、という考え方でいた。しかし、危機介入によるソーシャルワーカー単独の直接的支援だけでは限界があることを思い知らされ、むしろ地域社会の中で利用可能な社会資源を見いだし、あるいは新たに創出し、それらを有機的につなげていくこと(ネットワーク構築)がソーシャルワーカーの重要な役目であると考えるようになった。ちょうどケアマネジメントの考え方が導入された頃であり、類似の理論や概念が急速に知られるようになったこと、で我が意を得たりと思った。 そこで後期課程で、ネットワークがソーシャルワークの重要なキーワードになることから、様々なネットワークをソーシャルワーカーはどう扱っていけばよいか、について研究を進めた。 大学院修了後は、四国学院、関西学院でそれぞれ学生に教育する立場を与えられた。担当科目は主に、ソーシャルワーク関係、精神保健福祉関係であった。現在は、関西学院大学人間福祉学部で、精神保健福祉論、同援助演習、社会福祉援助技術演習などを担当している。 (2)障害学との関わり 精神保健福祉論や障害者福祉論が、医学知識や法制度の解説に終始している中で「学問としておもしろくないなぁ」と思っている中で、障害学に出会った。学問的に停滞感のある障害者分野の社会福祉やソーシャルワークについて、これまでとは全く異なる新しい枠組みで理論や実践の見直しが可能になるのではないかという期待で一杯だった。 障害学が、障害者福祉や精神保健福祉分野のソーシャルワーカー達から反発があるかも知れないということは推測していたが、自分自身はスムースに障害学に入っていけた。学問的な関心だけではなく、自分自身が障害者ということもあったかもしれないし、主に専門にしてきた精神保健福祉分野は、社会福祉の中ではもっとも障害学に親和的(?)な位置にあった(反精神医学の影響、「Y問題」など)ということも影響していたかも知れない。 現在は、自分の担当する科目の中に障害学の知見を取り入れたりしている。特に「新社会モデル」に関心を持ち、精神障害者のソーシャルワークの中に取り入れられないかと検討したりした。また、アミューズメントという体裁を取ると楽しめるという事から、様々な障害(者)文化があるとすれば、文化間交流をアミューズメントの要素を取り入れることでよりスムースになるのではという発想で研究をしたりしている。 2008年4月より新しく人間福祉学部が設立されたことを契機に、「障害学」の開講(杉野昭博さん担当)、言語科目としての日本手話開講ができた。できれば、新しい「障害者ソーシャルワーク」の学問的な拠点に、私の勤務校がなっていければと夢想している。 2.ソーシャルワークの現状認識 (1)ソーシャルワークの固有性への固執 三島さん 「一方の手に反省的学問理論、もう一方の手にはデータに基づく権限をもって実践に臨んでいる」というご指摘を受けて ↓ 闇雲な専門職指向や科学崇拝を持つ(モダニズム、データに基づく権限)一方で、そこから一歩引いたような自己懐疑的姿勢(反省的学問理論)も絶えず身にまとってきた。 →「ソーシャルワーカーとしてのアイデンティティの揺らぎ」を招いていることを反映? それゆえに、両方の手に2つの「ボール」を持ちつつ、支店となる足場を求めて「ソーシャルワークの固有性」(人と環境の双方に働きかける、自己決定尊重)に固執せざるをえない。それに抵触するような動きは強い反発が生じるのではないか。 したがって、ソーシャルワークと障害学、社会モデルとの統合、接点を考える時、これはソーシャルワーク側のいわば勝手な都合の言い分になるが、上記の固有性堅持を前提としてのものであることがどうしても必要になると考える。したがって、固有性の中に障害学、社会モデルの考え方をどう位置づけていけるかというアプローチなくしては、恐らく、ソーシャルワーク統合への「挑戦」と見なされ、大きな抵抗を生む。障害学、社会モデルのインパクトは、ソーシャルワークにとって固有性それ自体の見直しとして受け止められかねない。その結果、ICFをめぐる論争のような形を取ってしまうであろう。 (2)固有性の示す具体的な支援内容の見直し しかし、この固有性を大前提にしたとしても、実際にそれが具現化された方法論の中身で問題がないかというと、それはまた話が違ってくる。まず「人と環境の双方に働きかける」といった場合の「人に働きかける」では、医学モデルによる「過剰な介入」、すなわち指示的、保護的、管理的なコミュニケーションが生じてしまっている(向谷地、2005)。それは、自己決定尊重の接触することになり、固有性との齟齬を生じさせてしまっている。 他方、「環境に働きかける」部分では、ソーシャルワーカー自身が社会的装置の歯車として社会制度に組み込まれている事情もあってか、社会環境の改良を具体化する支援アプローチは弱体であった。この面での支援アプローチに含まれるソーシャルアクションやアドボカシーについての研究、実践両面での蓄積不足がこれを物語っている。 長い歴史を経てソーシャルワークが獲得し得た視点とは、支援を要する「問題」は人と環境の相互作用の上に生じる、というものであった。その「問題」解決のために何らかの変容を求めるとするのであれば、それは人の側だけではなく環境の方にも同等程度以上でなければならない。しかし、環境変容についてはソーシャルワークの力量不足から不十分さは否めず、支援は片務的な介入にとどまってしまっていた。ある意味では、その反動として先の「過剰な介入」の落とし穴に嵌ってしまったという解釈も可能かもしれない。 梅崎薫が「人びとに焦点を向け働きかける機能」と「社会環境に焦点を当てて働きかける機能」が今日の時代におけるソーシャルワーカーに求められると指摘するのも、こうした事情を表しているのだろう(梅崎、2004)。固有性と方法論の間にギャップが存在している。そして、ソーシャルワーカー自身がこのギャップに常に困惑させられ続けていた。 そこで改めて原点に立ち返り、「ソーシャルワークの固有性」を再確認した上で、その具体的な中身(実践理論、実践方法)についての見直し作業が求められて来ることになる。この作業は文字どおりに「見直し」作業なのであるが、固有性の維持を前提とすることでそこにはじめてソーシャルワーカー達が障害学、社会モデルから様々な知見を取り入れていく余地が生まれるのではないだろうか。 つまり、固有性の見直し=ソーシャルワークの外観を変えてしまう、というほどの根本的な転換のためではなく、固有性と方法論とのギャップを埋めるべく戦略的な「見直し」に、障害学、社会モデルの知見が意味を持ってくる可能性がある。 3.ソーシャルワークの課題(障害学、社会モデルとの接点から) (1)人びとに焦点を向け働きかける機能について 梅崎が指摘した2つの課題で、「人びとに焦点を向け働きかける機能」の強化については、既に「障害者」や「病者」といった属性をまとった支援対象の把握ではなく、あくまでも「人」そのものに焦点を当てていくという視点が強調されるようになっている。EBNの立場、あるいは、北海道べてるの家の取り組みから生まれた 「当事者自身が仲間と共に自らのテーマとして『解決』や『解消』しようとする過程そのものを大切にする」(向谷地、2005:37)という姿勢も、自己決定尊重との自己矛盾解消に向けた「見直し」で有力なものである。 松田さんがこれまで長年にわたって丁寧に関わってこられたSHGとそこからソーシャルワーカーが学ぶべき点をご指摘頂いたが、それは「過剰な介入」を自己決定尊重の原則に沿って「見直す」作業の中に位置づけることが可能ではないかと考える。 こうした「見直し」の積み重ねによって、杉野昭博が指摘するように(杉野、2007:261)、徹底的にサービス供給を利用者本位にしていくという意味での「個人モデルの純化」が求められているといえる。この純化の方向は、自己決定尊重の指すベクトルと同一であると考える。障害学の個人モデル批判と「政治的ディスクルール解体」(杉野、2007:254)の試みは、「過剰な介入」の根底にあるソーシャルワーカー達の専門職意識に潜む権力性や病理モデル偏重を否応なく暴き出し、その立つ位置の「見直し」を迫っていく点でも大きな貢献を果たすのではないだろうか。 (2)社会環境に焦点を当てて働きかける機能について しかし、日本においては現状の法制度に縛られたサービス供給の仕組みを前提にする限り、「個人モデルの純化」は難しい。それ故に、こうしたサービス供給体制を含めた広義の環境面での働きかけ機能の「見直し」作業を同時に進めていくことが必須になる。この機能は、広義の環境、すなわち法制度、サービス供給システムといった実体的、実在的なもの(杉野のいう「具体モデル」の対象)から人びとの意識や価値観を含めた文化システム(同じく「表象モデル」の対象)に渡るもの、に対して働きかけていくものであり、様々な抑圧からの解放と社会正義の実現がその大きな目標に位置づけられる。 社会モデルが示す「ディスアビリティの社会的構築」の視点は、ソーシャルワーカーをしてそのルーツに埋め込まれていた「社会改良家」としての意識を目覚め指すことにつながっていく(もちろん、そうであったもあくまでもソーシャルワークの固有性を堅持した上での「覚醒」であること、すなわち軽視されがちだった部分に着目していく必要性に目覚めたのであり、決してそれ一色に染まってしまうということではないことには留意したい)。ただし、ソーシャルワーカーが社会正義の実現にむけて「社会改良家」としての一歩を踏む出すためには、次の2つの点での課題達成が必要になると考える。まず1つは、ソーシャルワーカー自らの「教育分析」の必要である。 ミシガン大学のミッチェル・スペンサーは、『Social Work』誌の巻頭言で、「社会的正義の追求はソーシャルワークの核となる価値」でありながら、実際は「言うは易く行うは難し」の状態にあることを述べ、その理由として、抑圧や権力のシステムが複雑、多面化しており、それとの関係なくしては私たちの精神と環境を論じることが難しい状況を挙げている(Spencer,2008)。こうした中で、ソーシャルワーカーは権力のシステムにどうチャレンジし、変革をめざしていけばよいのだろうか。スペンサーは、「被抑圧者の教育学」で知られるパウロ・フレイレの言葉を紹介し、社会変革を生み、社会正義を促進していくためには、まず自らのモラル、倫理的な姿勢が問われるのであり、したがって、ソーシャルワーカーが公にしている価値とその生きたる経験との矛盾に向き合う、自己反映(self-reflective)の過程が必要であることを述べている。 以上のような問題意識のもとで、スペンサーは自らの経験や価値観についての振りかえりを巻頭言で行っている。その中で、スペンサーは自らを「健常者(an able-bodied person)」として位置づけ、アクセス可能な入り口を探し出すため、あるいは希望する場所に移動する手段の確保にどれだけ時間を要するのか、に考慮したことは無かったと告白している。また、試験時間の延長、文字の拡大、あるいはリアルタイムでのキャプションといった配慮を求めたことも全くなかったという。 こうしたスペンサーの主張に寄り添えば、ソーシャルワーカー自身の経験とそこから醸成されてきた価値観に無頓着なままでは、障害者を取り巻く社会的不正義の解消は難しいということになるだろう。このことは、「過剰な介入」からの脱却の際に求められるのと同じように、ソーシャルワーカーの政治的ポジションを直視させ、その建設的な乗り越えとしての「脱構築」に向かうエネルギーを獲得していかなければならない。この点においても、障害学の「個人モデル批判」は有意義な方向性を提示し得るものと考える。 なお、そのためにスペンサーはアダムス(Adams,M)らが定義した「Ally(あるいはAllies)」という考え方に賛意を示し、実践しているという。「Ally」とは、支配的なイデオロギーに盲従することを拒否し、抑圧を取り除くことは抑圧にさらされた者だけではなく、その代理たるソーシャルワーカーにとっても利益をなす、と考える人びとの集まり(グループ)である。そのためにも、自らの学んできたことに責任を持ち、自らの栄誉を過分なものとして認識し、すすんで立ち向かい、変化を考え、行動にコミットしていく。そして、時には間違いながらも、学び、挑戦する姿勢が求められるという。 さて、ソーシャルワーカーが社会正義実現をめざし環境に働きかけていくための2つ目の課題は、働きかける環境のローカル性という問題である。ソーシャルワークの歴史の中で環境面へのアプローチが十分に顧みられないままでこれまで時を経てしまったのは、フレックスナー・ショック以降の心理偏重主義による影響も大きいが、杉野が指摘するように「環境」や法制度というものは、国、社会、時代などによって千差万別であり、普遍的な分析、実践モデルの構築が難しかったという事情も大きかったと思われる(杉野、2007:254)。 例としてソーシャルアクションを取り上げてみても、米国の文化や政治社会状況の枠内で生まれ、育まれてきた理論や取り組みをそのまま日本に導入できないことは、ミクロレベルのそれらよりもいっそう深刻であったと思われる。 実践のローカル性の上に普遍性を担保していくためには、個々の具体的な実践の方法における普遍性を追求する(方法論の普遍性)のではなく、たとえ実践は一つひとつ違っていたとしても、それらが共通して持つ指向性が普遍的なものであるという戦略(指向性の普遍性)が考えられる。端的に言えば、目指すべき方向は普遍的なものであるが、その実現のための方法は多様であったもいい、という考え方である。 例えば、サービス供給システムは、インフォーマルなものも含めて様々な社会資源のネットワークとして描くことができるが、いうまでもなくこれらの社会資源の多くは利用者主導で設立、運営されているわけではない。むしろ、法制度や設立者、運営者側の都合が優先されてしまいがちなところがある。それらがミクロレベルでの「過剰な介入」や「利用者本位ではない個人モデル」と結びついているのであれば、あるいはそれらの現状が社会正義の実現を阻害しているのであれば、それに代わるあるべき姿として何が追求されなければいけないのか、という点が普遍的な指向として問われなければならないだろう。 そこに、サービス供給システムの「利用者本位化」という普遍性を持った指向性が設定されたとしても、その実現のための具体的な実践方法は、国、社会などによって様々であったも良いだろう。方法論の上では多様性に寛容でなければならない。こうした戦略を考えるに当たって、障害学は普遍的な指向をソーシャルワークが設定していく上で様々な示唆を与え得るのではないだろうか。 昨年(2007年)度の日本社会福祉学会で杉野昭博が提唱したDSW(Disability Social Work)も、こうした文脈の中で、既存のソーシャルワークの中に組み込んでいけるのではないかと思っている。アービング・ゾラが提唱した、潜在的障害者との共闘による「障害の普遍化モデル」を土台にしたDSWは、ソーシャルワークの環境介入における普遍的指向性と戦略的方法論を提示し得た。もちろん、それ以外にさまざまな普遍性と持った指向性とそれを実現するための方法論の提示は可能であるだろう。 ミクロレベルにおける「過剰な介入」からの脱却と、社会正義を目指した環境への働きかけという2つの間に有機的な関連性を探ることによって、ソーシャルワークの固有性の「見直し」作業を深化させていくことが今求められている。そのためにも、ソーシャルワークが障害学、社会モデルから学ぶ点は大きいと考える。 〈文献〉 向谷地生良、2005、「当事者の力とインクルージョン――浦河べてるの家での取り組みか ら」『ソーシャルワーク研究』30(4)、34-41. Spencer,M.,2008,"A Social Worker's Reflection on Power, Privilege and Opression", Social Wrok,53(2), 99-101. 杉野昭博、2007、『障害学――理論形成と射程』東京大学出版会. 梅崎薫、2004、「ケアマネジメントとソーシャルワーク機能」『ソーシャルワーク研究』30(3)、39-46. UP:20081004 >HOME |