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学会シンポジウム1「スティグマの障害学-水俣病、ハンセン病と障害学」

水俣病から学んだこと

原田正純(熊本学園大学)

障害学会第5回大会 於:熊本学園大学


◆要旨

  公害被害は常に弱者の上に

    水俣病発見のきっかけは幼児の患者の多発によってでした。このことは環境汚染によって人体に被害が及ぶ時、まず最初に被害を受けるのはその環境に住む幼児や老人、病人など生理的弱者であることを物語っています。後にはさらに、胎児がもっとも重大な被害を受けていたことが明らかになるのです。

    最初、私が水俣病を訪れた時、最もショックを受けたのは、病気の悲惨さよりも貧困と差別に打ちひしがれた患者たちの姿でした。雨戸を閉めて隠れていました。訪れた私たちは「帰ってくれ」と診察を拒否されました。理由は「折角、世間が水俣病のことを忘れようとしている時に先生たちが来るとまたマスコミが騒ぐ、するとまた魚が売れなくなって皆に迷惑をかける」というのでした。もう1つは「何遍診てもらっても治らないから、もういい」というものでした。確かに医学は万能でなく、治せない病気は沢山あります。その時、医師はこのような場合に「何ができるか」、「何をすべきか」を患者たちから問われていたと思います。

    被害者たちが、一体、何を悪いことをしたというのでしょうか。ただ親の代から魚をとって暮らしてきたというだけではないですか。このような自然に生き、自然と共に生きている人たちは一般的に言って経済力も権力にも無関係で、どちらかと言えば社会的に弱い立場の人たちであることが多いのです。

1958年(昭和34)の11月になって、熊大研究班は「水俣病の原因はメチル水銀中毒で、チッソ水俣工場が汚染源である」と厚生省に報告して原因がやっとわかったのです。発見から原因究明まで実に2年半もかかったのです。その間、人が死に病気で倒れてもチッソも行政も何の対策も立てませんでした。「工場廃水を止めよ」と押しかけてきた漁民を逮捕して裁判にかけたのです。経済成長のためには漁業被害どころか人の命や健康も軽視されたのでした。

  生かされているいのち

    水俣病が公害の原点と言われて世界的に有名になったのは、もちろん悲惨な、大規模な環境汚染事件であったこともあったのですが。重要なことは工場廃水に含まれた微量の毒物が自然の循環の中で濃縮され人に中毒を起したという特異な発生のメカニズムにあったのです。今、私たちは食物連鎖と呼んでいますが、要するに人も自然の一部であって、自然の循環から逃れることはできない存在であることを具体的に目に見える形で人類の前に示してくれたことです。自然を汚すことは天に唾することであることを示してくれたのです。同時に私たちは自然によって生かされていることをも示してくれているのです。自然に対する畏敬の念を失って、傲慢になった時、人はその報いを受けねばならないのです。

    水俣病多発地帯に多数の脳性小児麻痺様の患者が多数みられていることは最初から気付かれていました。しかし、当時の医学的常識では胎盤は毒物を通さないとされていました。それが1962年(昭和37)になって疫学的、臨床的、病理学的に胎盤を通過して胎児におこったメチル水銀中毒であることが証明されたのです。世界ではじめての胎児性水俣病が確認されたのです。人類の何万年という歴史の過程で母親の胎盤は胎児を毒物からしっかり護ってきたのです。しかし、人類の科学技術は私たちの暮らしを豊かに便利にはしてきたのですが、同時に未来のいのちを破滅させるような厄介な問題をおこしてしまったのです。胎児性水俣病は人類の未来に対する重大な警告であったのです。その後、カネミ油症事件(PCB)、サリドマイド事件など次々と胎盤経由の中毒事件がおこりました。現在はダイオキシン、環境ホルモン(外因性内分泌阻害物質)などの問題はこの時すでに始まっていたのです。

 世界の各地で

   水銀問題に限ってみても、その教訓は活かされていません。世界の各地で今なお、水銀汚染が進行しています。カナダでは原住民の居留地が白人によって水銀に汚染されました。調査に行った私たちに酋長は言いました「父なる太陽の恵み、大地を流れる水は母の乳である。先祖はその恵みを受けていのちを育めと言ってきた。その母の乳を汚した白人はいずれみんな滅びるだろう」と。ブラジルのアマゾン川流域も水銀汚染がおこりました。漁民たちは言いました「魚を食べないと生きていけない。行くところもない。日本は科学が進んでいるから魚を食べても水俣病にならない薬を送ってください」と。

 いのちの価値

  3歳で発病したT子さんは今でも一言も話すことができません。全て介助が必要です。それでも彼女が生きているだけで大きな意味があります。水俣病の生き証人だからです。胎児性水俣病のK子さんは生まれて23年間の短いいのちでした。その間、「お母さん」の一言も言いませんでしたが、その子の存在が世界に公害の恐ろしさ、いのちの大切さを黙って示し続けました。多くの人々が未来のいのちを護らなければならないと決意しました。そして、お母さんは「宝子」と言って慈しみました。K子とお母さんからいのちの価値を学びました。

  企業が利益のために環境を汚染して人を傷つけることは犯罪でしかありません。しかし、そのことを強調するあまり障害者の存在を否定するようなことがあってはならないと思います。それはT子さんやK子さんのいのちの価値を冒涜することになります。いのちの価値を忘れたから水俣病は起こったのです。

  水俣病から多くの教訓を学び取ろうと熊本学園大学では「水俣学」を立ち上げています。


UP:20081004


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