>HOME 石尾絵美(横浜国立大学大学院) 障害学会第5回大会 於:熊本学園大学 ◆要旨 知的障害児者施設での参与観察から、社会モデルを個別支援の場に取り入れることの難しさを感じている。なぜそのような困難が生じてしまうのであろうか。社会モデルがどのように支援の場に浸透していくことができるのかを考える手がかりとして、応用行動分析を用いた支援について考察する。また、知的障害におけるディスアビリティとインペアメントの区分の困難性について言及し、それによって生じる知的障害者支援の問題について考えたい。 リハ学の理論は、医学モデルから生活モデルへと転換し、いまや社会的障壁への働きかけも組み込まれているという分析の一方で、依然リハ学の理論は個人モデルを保持しているという分析も多く見受けられる。個人のパフォーマンスに着目し、そこで個人の必要や要求がかなえられるように個別にケースを追求していくことは、個別援助の場面ではごく基本的な姿勢である。しかし、個人のパフォーマンスに着目することが、個人に適応努力を押し付けることにつながってしまいやすい危うさから、結局は個人モデルなのだと判断されてしまうことも少なくない。 社会モデルは、支援の場に何をもたらすことができるだろうかと考えたとき、やはり、社会モデルに基づいた支援の浸透を目指すことで、障害者の生活に貢献していくことが必要だといえる。障害のある方に支援を行う場において、個人にインペアメントの克服努力を一方的に要求することなく、環境や社会を整えることによってQOL(生活の質)を向上させていく社会モデルに基づいた支援をいかに可能にしていけるのか。 そこで、社会モデルに基づいた支援を考える手がかりとして、応用行動分析を用いた支援方法について考察したい。 応用行動分析とは、現実の場面におきた問題の解決に行動分析的な枠組みや行動原理などを分析的に応用する方法である。望月(1995)は行動分析がノーマライゼーションの実現にいかに貢献できるかを論じている。行動分析の分析枠である三項随伴性は、行動を個体と環境との相互作用として表現する。行動を個体の属性としてではなく環境との相互作用の中で表現することは、障害を社会的な関係の中で捉え、社会的責任の上で解決するというノーマライゼーションの基本姿勢と一致すると主張する。 応用行動分析は分析枠を三項にすることにより、行動成立の失敗を支援者側の環境設定の失敗とし、支援における責任の所在を明確にすることを可能にしている。これによって、被援助者の基本的な権利を守ることができる。このような考察から、望月は「障害の軽重を問わずに共生するための現実的で具体的なプログラムが行動分析固有の枠組みによって可能になる」という結論を導いている。 たしかに、望月が示してくれた応用行動分析の枠組みは、社会モデルに基づいた支援を考える上で重要な示唆を与えてくれた。ノーマライゼーションの思想は、責任主体を明らかにできない弱さがあるという分析もあるが、応用行動分析を用いた支援においては、その責任主体を支援者が担うことをはっきりと宣言している。しかし、支援の責任が支援者にあることと、障害の責任が本人に担わされないことの差異はある。支援者が人的物理的環境設定を社会に要請することを中心に据え、障害の責任を社会が担わせることが重要なのである。この環境設定を周囲の人々や社会に要請し、実現させていくことが、ディスアビリティに焦点化した支援といえるだろう。 しかし、ここで知的障害者のディスアビリティとインペアメントの区分という問題が立ちはだかる。身体障害の場合、ディスアビリティとインペアメントの区分が知的障害よりも明確にできるため、支援においてもディスアビリティに焦点を当て、社会に要請していくことができる。しかし、知的障害の場合、ディスアビリティとインペアメントの区分を明確にすることが難しいため、ディスアビリティに焦点化するという作業に困難が伴う。ディスアビリティとインペアメントの区分の難しさが、知的障害者支援の難しさにつながってしまうのである。実際、支援現場において、考えられうる限りのディスアビリティを排除しても、なお残る「できなさ」が存在する。このなお残る「できなさ」という部分に対し、社会モデルはまだ十分な説明を用意することはできない。そして、そのディスアビリティとインペアメントの区分の曖昧さが、知的障害者支援現場において障害を個人の能力問題に帰するような訓練的支援を容認してしまう一要因となっているのではないか。 また、自立生活運動において主張されてきた、利用者である障害者が主体となり、利用者自身の指示に従った介助という支援のあり方がある。しかし、重度知的障害者や自閉症者に対する支援においては、利用者の意思や要求を読み取ること自体に困難が生じてしまう。どのようなツールを用いても彼らの意思を読み取ることができない場合、支援者の思い込みや信念が支援の方向性を左右してしまう危険がある。 このような問題を孕んだ知的障害者支援の現実から、どのように脱却していけるのか。そのためにはやはり、知的障害のディスアビリティとインペアメントの区分の困難性から出発した知的障害者支援の方法論を考察していく必要がある。
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