>HOME 当事者による資料収集活動と〈歴史〉意識の生成―「ハンセン病図書館」と所蔵資料の生態学― ◆要旨 2001年の「ハンセン病違憲国家賠償訴訟」の判決を契機に近年,ハンセン病者に対する隔離政策の問題が社会的な関心を集めるようになり,様々な研究や啓蒙啓発事業が進められている.そして,ハンセン病を巡る歴史を検証する必要性とともに,いかにそうした歴史を巡る資料を保存するかが問われている.例えば,前述の判決を受けて着手された日弁連の「ハンセン病被害実態調査検証事業」は「再発防止のための提言」をまとめているが,そこでは歴史の更なる検証と合わせて,資料保存の重要性が指摘されている. ハンセン病患者・家族・回復者への差別と偏見は誤った国策による……このような人権侵害の再発を防止するためには,国の責任とともに,自治体の責任,国民の責任についても究明していかなければならない.厚生労働省をはじめとする国の機関,自治体,ハンセン病療養所,ハンセン病療養所入所者自治会などに所蔵されている資料の活用は不可欠となる.(日弁連法務研究財団編
2005 『ハンセン病被害実態調査検証事業 最終報告書』p654-655) 本報告が注目したいのは,上記の言説をはじめとしたハンセン病問題を巡る現在の歴史認識の構築に大きな役割を果たした療養所入所者による資料収集活動と歴史記述についてである.これまでハンセン病問題を巡る歴史に関しては多数の研究や報道がなされてきたが,その多くは「ハンセン病図書館」(多磨全生園、東京都東村山市)をはじめとしたハンセン病療養所内に入所者が設けた複数のアーカイブに所蔵される資料と,それらをもとに入所者の手で1970年代後半に刊行された生活記録集に依拠して進められてきた.だが管見の限り,それらのアーカイブや生活記録集がどのような経緯で形成され,療養所入所者が自分たちの生きてきた歴史をいかなるものとして記述してきたかについて,これまでの研究や報道は主題的に検討していないように思われる.本報告で明らかになるように,それらの活動はハンセン病療養所が福祉施設としてようやく整備が進められていくようになったという1970年代初頭以降の状況と,それに伴い入所者を巡って生じるようになった様々な変化が大きな影響を与えていた.ハンセン病という病いを生きてきた当事者が進めてきたこうした試みを検討することは,彼らが収集した資料とそれらを通して生み出された歴史記述を巡る可能性の条件を明らかにすることになるはずである.なぜなら,資料や記述物の内容の外側を構成する事実はその内容に内在的な形で影響を及ぼすからである. そこで本報告は,多磨全生園に2008年3月まで開館されていた「ハンセン病図書館」と園創立70周年を記念して入所者の手で刊行された生活記録集『倶会一処』について,これらの資料収集活動と生活記録集の刊行に携わった関係者の手記をもとに検討する.1970年代以降,ハンセン病療養所入所者の間では自らの生活の記録を収集し,彼らが生きてきたと自覚する歴史を記述する試みが進められた.彼らは自分たちが生きてきた歴史を自らの手で記述することの意味について,こう記している. 最古の収容所の故か,(多磨全生園には:引用者注)五十年以上の収容歴を持った者が二十六人いる.入園者はつねに千人を割る傾向にあり,療養者の老齢化とともにハンセン氏病が終息に向かっていることは,もはや,疑うことのできない現実である.多磨全生園患者自治会は,こうした現実を踏まえ,終わりの日に備えて,次の事業を起こした.……(一.の「医療センターの整備」,二.の「ふるさとの森作り」という緑化活動に続き:引用者注)三.ハンセン氏病関係の文献を収集しておく.『いのちの初夜』の著者,北条民雄が創作活動をした寮の跡に,資料館(「ハンセン病図書館」を指す:引用者注)を建て,現在収集中である.四.患者の手で,多磨全生園史を編集し発刊する.『倶会一処』は,こうした事業の一環として,創立七十周年記念に刊行するものである.しかし,いたずらに多磨全生園史を後世に残したいという安価な感傷から計画したものではない.(多磨全生園患者自治会編1979『倶会一処――患者が綴る全生園の七十年』p3-4) 資料収集活動と生活記録集の刊行に携わった人々は,自分たちが生きてきた歴史を「らいと完全隔離という重圧の限界状況の中で,いかにして対応し,変革していったか」という「人間の実験記録」と表現した.なぜ彼らはこの時期にこの取り組みを行い,自分たちが生きてきた〈歴史〉をいかなるものとして記述したのか.本報告は,病いや障害を生きる人々がいかなる状況下で自らを巡る〈歴史〉の存在を意識し,それを記述することを通してどのような自己像を構成してきたか明らかにする. UP:20081004 >HOME |