■ 資料2 戦後−1985年の安楽死事件と安楽死運動・安楽死反対運動年表

太田典礼及び日本安楽死協会の活動

事件・できごと

安楽死反対運動

19500131
東京新聞,成吉善事件弁護人,加藤隆久による「安楽死協会」の構想を報じる



 

195002
米でキャロル・ベイト事件,ハーマン・サンダー事件無罪判決
19500414
成吉善事件東京地裁判決「安楽死6要件」
 米両事件,成吉善事件ともに「安楽死」事件との報道。法学雑誌に「安楽死」論活発。







 


 

19550421 英国での不治の心身障害児への安楽死適用論争の報道(毎日新聞)

左記報道,心身障害関係者及び『しののめ』同人の間で話題に。


 

195700501
足立区で老父が脳性マヒの息子(27)を殺害

左記事件,被害者は『しののめ』関係者と近い関係。






 

19620608
ベルギーサリドマイド児殺害事件起訴の報道
196211[ベルギー]
サリドマイド児殺害無罪評決
19621222
名古屋高裁山内判決,安楽死6要件。

19620430
『しののめ』47号「安楽死」特集
19620910
『しののめ』48号「安楽死」特集反響小特集


 

196308
太田典礼「安楽死の新しい解釈とその合法化」『思想の科学』
・ベルギーのサリドマイド児殺害事件に言及

19630201
水上勉・戸川エマ・石川達三・仁木悦子・小林提樹「誌上裁判:奇形児は殺されるべきか」『婦人公論』
19630501 水上勉「拝啓 池田総理大臣殿」『中央公論』

19631231
全国青い芝の会結成

 




 

196705
東京神田で病弱の妻を持つ老齢の歯科医師が27歳の重度障害の息子を殺害。検察官が「真犯人は国だ」とアピール。減刑運動がおこり無罪。




 

196803
「葬式無用の会」趣意書作成配布。08「葬式改革の会」発足。会でしばしば安楽死が話題に。



 



 

196903
太田典礼「老人の孤独」『思想の科学』

 

1969
人口問題審議会中間答申「人口の先細り・出生力の回復」
成長の家政治連合(成政連)国会議員連盟」結成
「優生保護議員懇談会」結成(やぎ1986:218)

1969
「青い芝の会」神奈川県連合会発足(山北厚会長、横塚晃一副会長、横田弘編集長)
 

19700131
太田典礼『性の権利――堕胎解放の歴史』(三一書房)
・米の動きとして重度奇形・精神障害を事由とした胎児条項をサリドマイド事件の影響とし「日本より前進」
 

19700529
横浜市金沢区で母親による障害児殺害事件。
地元を中心に減刑嘆願運動起きる。


 

197007
神奈川「青い芝の会」7月例会で横浜事件の話題。減刑嘆願書運動を阻止する方針を決定
19700710
「CP児殺し減刑問題に関する意見書」横浜地検,横浜地裁などに提出
(横田 1978:37-39)




 

197106
横浜地検,横浜事件を起訴
19711008
判決,懲役2年,執行猶予3年。

「さようなら,CP」製作


 

19720310
太田典礼編『安楽死』(クリエイト社)






 

197205
第68国会に優生保護法改訂案(経済的理由の中絶禁止)上程
19721010
北区で老父による37歳の障害者殺害事件
以後
「安楽死」特集/身障者問題がメディアで盛ん。両者の声を掲載するものが多い。

197202〜
「さようなら,CP」上映運動,上映会で優生保護法改定案反対の問題提起
19720415 『しののめ』74号
次号「再び安楽死をめぐって」の呼びかけ

19721025 『しののめ』75号
「特集:再び安楽死をめぐって」

19730615
太田典礼『安楽死のすすめ』(三一書房)


 

19730511
優生保護法改正案厚生省により国会に提出


 

19730315
『しののめ増刊・強いられる安楽死』
19730514
神奈川青い芝を主体に署名(1万余)をもって国会に本法案反対の請願







 

197405
第70国会にて優生保護法改定案審議未了で廃案




 

197401
横田弘『炎群』(しののめ叢書)
197402
兵庫県「不幸な子どもの生まれない運動」に青い芝の会が抗議
197412
松田道雄「安楽死と弱者の論理」『潮』

197506
「安楽死懇話会」50名参加。「安楽死協会設立準備会」と改称
 

19751009
守屋博「医療辞退連盟」発足。
19751110
カレン裁判第一審,クインラン側敗訴。

19750225
横塚晃一『母よ! 殺すな』(すずさわ書店)
19750617
松井義孝「兄弟を殺すな」(朝日新聞)

19760120
「安楽死協会」発起人会。初代理事長太田典礼
19760823-24
第1回世界安楽死国際会議(東京)
19770423
第一回日本安楽死協会年次大会
太田典礼及び日本安楽死協会による出版活動盛ん
197712
法案委員会,石川浩案を骨子に作成

19760331
カレン裁判クインラン側勝訴判決。
1976-78
法学誌・宗教誌などで安楽死特集。
19770702
九州大学医学部同窓会による「安楽死」講演会,混乱。



 

1976
全障連結成


1977〜
健常者との関係をめぐって関西青い芝の会を中心に内紛

 

19780513
第二回日本安楽死協会年次大会,石川案を基礎にした「自然死法第一次要綱案」発表。大きく報道される。
197805末
財団法人設立許可を法務省へ提出,不許可。
19781220
阻止する会の声明に対する反駁声明

19781111
TBSテレビ・ドキュメンタリー番組「ジレンマ」
19781123
京都大学11月祭「安楽死」シンポジウム
全障連の抗議により?太田典礼降板。



 

197811
武谷三男,水上勉,松田道雄らにより「安楽死法制化を阻止する会」発足,声明発表
阻止する会の動き,各紙で大きく報道される




 

19790315
「末期医療の特別措置法案」を正式公開






 

19790314
第87国会衆院法務委員会に野間宏(「阻止する会」),太田典礼(日本安楽死協会),池田節子(看護師)参考人招致。
19791102-05
岡山大学第六回鹿田祭「新たな共同性を求めて」で太田典礼,鈴木二郎,清水昭美によるシンポジウム。
19791205-28
劇団四季「この生命誰のもの」上演。

19790120
横田弘『障害者殺しの思想』(JCA出版)
197906
「阻止する会」総会。01,07に機関誌1号,2号
197909
松田道雄「安楽死法制化に反対する」『世界』
197912
松田道雄「自己決定権について――われわれの相違」『世界』

19800321
飛田人徳協会理事,憲法13条幸福追求権を根拠に,大平総理大臣に延命拒否の訴えを東京地裁に起こす。後却下。
19800911-14
第3回安楽死国際会議(オックスフォード)
英国の「自殺の手引き書」が話題に
協会内で「自殺」への対応をめぐって議論

198010-
英国アングラ版「自殺の手引き書」が協会和田敏明理事からマスコミに流れ,2誌で全文掲載。数誌でセンセーショナルな話題になる。



 








 

19810527
太田典礼,ベリット・ヘデビーを個人的に招聘
前後して「ヘデビー事件」
19811127
協会「新運動方針」

19810927-1003
世界医師会総会。患者の権利リスボン宣言。
「5 患者は尊厳をもって死を迎える権利を有する」

 

198102
「阻止する会」機関誌3号
198110
八木下浩一『障害者殺しの現在』(JCA出版)
 

19820115
太田典礼『安楽死――人間にとっての死ぬ権利』出版
19820220
太田典礼『死はタブーか――日本人の死生観を問い直す』






 






 

19830415
法制化の請願署名呼びかけ
19830428
理事会で協会名変更が議題に
,0519理事会評議員会で日本尊厳死協会へと具体化
19831001
日本尊厳死協会と正式に改名

19830321
米大統領生命倫理委員会報告書,「死の権利」認知。
日本各紙「尊厳死の容認」と発表
19831026
「末期医療の特別措置法案」衆参両院議長あてに第101国会請願。審議未了,廃案。

 

198312
松田道雄『安楽死』岩波ブックレット




 

198404
太田典礼小説『王様のねむり』『老人島』(太田出版),第5回安楽死国際会議(ニース)に車いすで出席
19841012
厚生省に社団法人の認可申請,審議なく不認可





 





 

19850226
議員連盟に法制化を陳情
19851205
太田典礼,リビング・ウィルのないまま死亡。
 

19850327
第102国会衆院法務委員会で協会の法人化を認めないことについて論争。

 





 
                                                         大谷いづみ 作成