『障害学研究』22号 エッセイ募集

学会誌『障害学研究』第22号(2025年9月刊行予定)のエッセイを、下記の要領で募集いたしますので、ふるってご投稿ください。

■ 分量:1200文字以上 10000文字以内(詳しくは末尾の審査規定を参照)
■ 締切:2025年3月15日
■ 送付先:yukara「あっと」akashi.co.jp
(送信の際は「あっと」を@に変えてください)

【担当者】 明石書店 辛島悠さん

【備考】
1.送付にあたっては、

1)原稿は添付ファイルとし、
2)メール本文には投稿者の氏名と所属、エッセイタイトルを記し、
3)メールの件名を、「障害学研究第22号エッセイ」としてください。
受領しましたら、こちらから確認のメールをお送りいたします。万が一、送信後3日を経ても確認メールが届かない場合は、事故の可能性がありますので、恐れ入りますが、その旨を記した上、再度原稿をお送りください。

2.掲載にあたって、会員名簿にご登録のお名前とは別のお名前(ペンネーム等)をご使用になる場合は、そのペンネーム等に加えて、学会名簿にある名前を原稿に併記して、ご投稿ください(投稿資格の有無を確認する際に必要になります)。加えて、どちらの名前での掲載を希望するかも明記してください。

障害学会・第11期編集委員会
委員長 矢吹康夫

『障害学研究』エッセイ審査規定・投稿規定
https://jsds-org.sakura.ne.jp/2017/10/30/essay/

22号 エッセイ選者・プロフィール・求めるエッセイを掲載します。

◆ 伊是名夏子(いぜな・なつこ)さん/コラムニスト。著書に『ママは身長100cm』(ハフポストブックス)。
◇ あなたが悩んできたこと、驚いたこと、悔しかったこと、傷ついたことのモヤモヤをまずは言葉に、文にしてみてください。読み手がいるので伝え方も大切ですが、それ以上に自分の中にある思いをまずは言葉にしてみてください。あなたにしか伝えられないことはあるはずです。飾らない、まっすぐな思いが、意外にも多くの人の気づき、共感になります。そして悩みながらも書くことは、自分を取り戻し、力を得ることでもあります。時間はかかり、苦しいこともあると思いますが、あきらめずに書いて下さい。

◆ 齋藤陽道(さいとう・はるみち)さん/写真家、文筆業。著書に『異なり記念日』医学書院、『声めぐり』晶文社、『育児まんが日記 せかいはことば』ナナロク社など。
◇ 私ではない誰かが書いた物語や番組に浸かっていると、無意識に、そうした言葉をあてがってしまい、自分自身の本当の感情を見失ってしまうことがあります。注意深く、そうした言葉を注意深くはぶいて、私の感動、私の悲しみ、私のこの感情を、大事にした、正直な、切実なことばを、書いてみてください。それはきっと、みんなにとっての宝です。

◆ 市川沙央(いちかわ・さおう)さん/作家。『ハンチバック』(文藝春秋)で第169回芥川賞受賞。筋疾患先天性ミオパチーによる医療的ケア当事者。
◇ こんなこと書いちゃっていいんだろうか? 皆にとってはくだらないことだろうか? そう思いながらも自分がいちばん書きたいことを私はいつも書いています。意外とそれが褒められます。あなたがいちばん書きたいことをぜひ書いてください。身体から溢れだす率直な言葉をつかまえた、身も蓋もない本音の文章を、お待ちしています。

◆ 御代田太一(みよだ・たいち)さん/元救護施設生活支援員。著書に『よるべない100人のそばに居る。<救護施設ひのたに園とぼく>』河出書房新社、福祉に関するリトルプレス『潜福』。
◇ 言葉のトンネルを掘り進める作業は、往々にして地道で孤独なものです。でも深く掘れば掘るほどそのトンネルは、同じ誰かとつながり、新しい自分と出会い直すための通路にもなるはずです。「こんなことを考えているのは世界で自分だけなんじゃないか」と思えるようなことも、一人称にこだわって、紡いでみてもらえたら嬉しいです。皆様の文章を、心から楽しみにしております。

樋口恵子さんと日本の障害福祉の国際化

田中恵美子

1. はじめに
2023年9月15日、樋口恵子さんが亡くなった。あの日からもう一年が経とうとしている。
私は9月13日に恵子さんにメールを送り、9月16日に電話で話そうと約束していた。その日は第20回障害学会(2023年9月16日、17日開催 於:東京大学)があって、私が書いた樋口恵子さんと近藤秀夫さんの本(田中2023)が先行販売されることになっていたからだ。「会場から電話する」と書いた私のメールに返信して、恵子さんは「本の発売にワクワクしている、その一方で、近藤さんが少し疲れ気味で電話に出るのを億劫がっている」と伝えてきた。本が手元に届いたら近藤さんもきっと喜んで電話に出てくれるだろう。そう思っていた。
それなのに。
私は、二度と恵子さんと話すことはできなかった。障害学会の会場からの電話には、お姉さんがでて、「恵子は昨日亡くなりました」とおっしゃった。それを聞いたときの気持ちは、でも忘れられない。人生にこんなことがあるのかと思った。
恵子さんの死因は、椅子から落ち、頭を打ってしまったことだったが、そのだいぶ前から肺が弱っていた。2018年に私がインタビューしたときの恵子さんの年齢は67歳だったが、肺が95歳だといわれたといっていた。2023年の5月には入院が長引き、「私の肺は限界のようです。病院のベッドの上では終わりたくない。誇りあるQOLを、自宅であなたのまとめてくれた本をだきしめて終わりたいと思います。ホントにありがとう」というメールが来て、びっくりし、四国に住む友人に連絡して会いに行ってもらったりした。そのころから“その日”を予感させ、ご自身も準備をしてきていた。しかし、、、それでもやっぱり急だった。
樋口恵子さんは、1980年代の日本の障害者自立生活運動における中心人物の一人であり、国際的にも活躍した一人である。今回は恵子さんの死を悼み、恵子さんの国際的な活躍とその影響について考察してみたいと思う。

2. 国際障害者年のころ―日本の障害福祉の国際化
恵子さんが海外との接点を持ち始めたのは、国際障害者年を契機としていた。恵子さんだけではない。多くの障害者運動のリーダーたちが、いや、日本の障害者施策そのものが海外との距離を縮めたのは国際障害者年のころだった。
1979年にはアメリカから自立生活運動の父と呼ばれるエド・ロバーツが来日し、講演を行った。そのころから徐々に国際化の波が押し寄せてきていた。1980年になると、近藤さんは車いすに乗った公務員として国際障害者年の国のイベントにも駆り出された。
恵子さんは、近藤さんの職場であった町田で非常勤職員として市の障害福祉事業に関わりながら、1981年にアメリカへのツアー旅行を企画し、日本からバークレーの街に障害者を連れていくという役割も果たした。その原動力は、先に挙げたエド・ロバーツの講演で受けた衝撃にあった。
「障害はパワーだ、エネルギーだ」 というエド・ロバーツの言葉に恵子さんは疑問しか浮かばなかったという。恵子さんにとって障害は仕方なく共に生きるしかないものだったからだ。
障害をどうして「パワー」や「エネルギー」などといえるのか?そんなふうに思える場所アメリカに、エドが働くCIL(Center for Independent Living 自立生活センター)に行ってみたい!!!
恵子さんのハートがググっと動いた瞬間だった。
1981年、ミスタードーナッツが日本で発売されて10年の記念すべき年に、国際障害者年と絡めたイベントが企画され、日本の障害者をアメリカに送る研修が始まった。これが今日まで続く『愛の輪基金』である。新聞に広告が載り、恵子さんもいつかこの研修に参加すると目標を立て、英会話の勉強を始め、コツコツと準備した。そして1984年、晴れて第4期生としてアメリカ・バークレーに旅立ったのであった。研修は半年間だったが、その後一度日本に帰国した後すぐにワシントンD.C.へと飛び、ジャスティン・ダートの下でインターンとして3か月働いた。

3. “障害”は社会にある
恵子さんはアメリカでデートに誘われたり、付き合ってほしいといわれたり、一人の“女性”として扱われた。この経験が自分を肯定する出来事だったと自著(樋口 1998)に記している。またアムトラックでの旅行を計画して受付の女性に障害者割引があるか尋ねたとき、「あなたは障害者ではないから」といわれ、驚いたこともあった。日本では、先ず障害者であって、人間として、ましてや性のある存在としてみられたこともなかった。それがアメリカという土地では同じ自分が人として、女性として認められる。こうした経験を通して、恵子さんは障害は社会にあることを実感していく。そして同じ経験をたくさんの人にしてほしいと、日本に戻ると、障害者旅行の企画をしては障害者を海外に連れて行った。
その中の一人に、千葉れい子さんがいる。彼女はのちに介助犬を日本に初めて紹介する人となるのだが、彼女が恵子さんと一緒に初めてアメリカのツアー旅行に行った時のことだ。彼女は日本でも電動車いすを利用していたが、この旅行ではアメリカで電動車いすを借りた。アメリカの電動車いすは日本の電動車いすに比べてスピードが速かった。乗りなれてくるとスイスイとツアーの旅行客の前に出てこられるようになった。いつもなら人の後ろについて歩き、時々は待ってもらわなくてはならないのに、この旅ではランチのレストランを探す際に、「私が見てくるわ~」と確認して戻ってきたりできる。旅の中でどんどん生き生きとしてくるれい子さんを見て、恵子さんは「道具一つでこんなに人が変わるのか」と実感した。れい子さんもまたこの旅で自分に自信をつけ、やがて自らのやりたいと思っていたことに、もちろん紆余曲折はあったが、進んでいったのだった。
恵子さんは海外旅行の意義をこんなふうに述べている。
「現状では、私達の社会は障害者にとってはなはだ住みにくい社会で、それはあたかも障害がすべての原因であるかのように言われているのだが、果たしてそうなのか。一定のアクセスが整った地域に、短期間でも身を置くことで見えてくるものがある。社会の側がつくった障壁(階段や利用できない公共交通機関など)とそれらが解決されて残るものが何なのかといったことを具体的に理解することができるのである」(樋口 1992)。

4. おわりに
恵子さんはその後、1989年にDPI女性障害者ネットワークを立ち上げ、優生保護法の改正に向けて運動を展開していく。1995年には中国・北京で行われた世界女性会議に出席し、女性運動と協同して分科会「優生保護法って何?」を開催し、そこで恵子さんは

「私は今、障害者として生きてこれてよかったと思います。障害を持って生きてきたことが、私をここまでひっぱり、育ててきたと思います。私にとって障害は私を構成する大切な個性です」

と「『私大好き』宣言」をするに至った。あの時のエド・ロバーツみたいに。
海外で過ごし、一人の人間として、一人の女性として受け止められた経験を通して、恵子さんの中で障害の意味が変わっていった。恵子さんは“障害”を、“社会にある障壁”“生きづらさ”としてとらえ、それを経験する者として健常の女性たちとも連帯し、社会を変えていこうとした。同時に広く世界の“障害”者運動ともつながっていった。もちろん国によって障害は異なる。だが差別や偏見を受けるという共通の経験をした者同士であるというシンパシーによってより強固につながることができたのではないだろうか。
国際障害者年という時代の波に乗ったことも確かである。しかしそれだけではない。現在の国際的な障害者運動の連帯への道が築かれた時代に恵子さんがいたことに大きな意味があったと思う。

文献
樋口恵子1998『エンジョイ自立生活-障害を最高の恵みとして』現代書館
樋口恵子1992「5 自立生活センターにおけるピア・カウンセリングの意義」『自立生活への鍵ーピア・カウンセリングの研究ー』ヒューマンケア協会:35-44
田中恵美子 2023 『障がいを恵みとして、社会を創る―近藤秀夫と樋口恵子』現代書館

 

『障害学研究』第22号 自由投稿論文の募集

学会誌『障害学研究』第22号(2025年9月刊行予定)の自由投稿論文を、下記の要領で募集いたしますので、ふるってご投稿ください。

・本文末の「投稿規程」と「執筆要項」を熟読の上、ご投稿ください。
・図表を添付する際の形式や執筆フォームなど、よくご確認の上、ご投稿ください。

■分 量:20,000字以内 (詳しくは末尾の「執筆要項」を参照)
■締 切:2024年9月30日(月)
■送付先:yukara「あっと」akashi.co.jp
(送信の際は「あっと」を@に変えてください)

【担当者】 明石書店 辛島悠さん

【備考】
1.送付にあたっては、
1)原稿は添付ファイルとし、
2)メール本文には投稿者の氏名と所属、論文タイトルを記し、
3)メールの件名を、「障害学研究第22号 投稿論文」としてください。
受領しましたら、こちらから確認のメールをお送りいたします。万が一、送信後3日を経ても確認メールが届かない場合は、事故の可能性がありますので、恐れ入りますが、その旨を記した上、再度原稿をお送りください。

2.掲載にあたって、会員名簿にご登録のお名前とは別のお名前(ペンネーム等)をご使用になる場合は、そのペンネーム等に加えて、学会名簿にある名前を原稿に併記して、ご投稿ください(投稿資格の有無を確認する際に必要になります)。加えて、どちらの名前での掲載を希望するかも明記してください。

3.投稿後、査読(最大2回)をおこなって、掲載の可否を決定します。

4.論文投稿に不慣れな方は、研究論文執筆に関する一般的な留意点について、研究経験の豊富な人のアドバイスを受けたり、学術論文に関する一般的なルールを参考にしてください。

【問い合わせ先】
yukara「あっと」akashi.co.jp(送信の際は「あっと」を@に変えてください)

【担当者】
明石書店 辛島悠さん

障害学会・第11期編集委員会
委員長 矢吹康夫

◇ 『障害学研究』自由投稿論文・投稿規程
https://jsds-org.sakura.ne.jp/2017/10/30/paper/

◇ 『障害学研究』自由投稿論文・執筆要項
https://jsds-org.sakura.ne.jp/2017/10/30/guidelines/

ブックマン・マーク(1991年―2022年):真言密教と障害学

長瀬修

真言密教に取り組んでいると聞いて驚いた。ブックマン・マーク(Mark Bookman)と最初に会ったのは、2014年だった。米国人でフルブライトフェローとして、東洋大学で真言密教を研究していると話していた。本当は高野山大学に行きたかったが、車いす利用者にはバリアだらけで断念したとも語っていた。
実際、東京でも、バリアフリーなアパート探しに苦労しているということで、フルブライトフェローとして日本に滞在経験のある作家、ケニー・フリース(Kenny Fries)から紹介されたのだった。フリースは日本印象記である『マイノリティが見た神々の国・日本』を著している。
当時の会話で印象的だったのは、遠藤周作の『沈黙』をもっと若い時に読んで影響を受けたという話だった。それはマークがユダヤ教から離れるきっかけの一つだった。学生時代にユダヤ教に別れを告げたとき、父親(Paul Bookman)の嘆きはひとしおだったと言っていた。マークが最初に『沈黙』を読んだのは14歳の時で、その時は翻訳で読んだと父親は語っている。
マークは、私の出身校である上智大学にも留学経験があるということで、親近感を持った。バリアフリーな物件探しを手伝っていて、たどり着いたのが自立生活運動のリーダーである今村登だった。自立生活センターSTEPえどがわの今村は、DPI日本会議でも活躍している。その今村に相談したところ、自身も住む江戸川区瑞江のバリアフリーなアパートを紹介してくれた。手伝っていて改めて、バリアの多さを痛感した。山田太一作のドラマ『男たちの旅路 車輪の一歩』で岸本加世子と清水健太郎がバリアフリーな物件探しをするシーンを思い出した。

(2015年2月22日、江戸川区瑞江のアパートにてマーク。長瀬撮影)

真宗学と障害学』を出したばかりの頼尊恒信(真宗大谷派門称寺・CILだんない)を講師とする研究会を2015年に「社会的障害の経済理論・実証研究」(研究代表者:松井彰彦)として企画し、声をかけたところ、マークは熱心に参加していた。振り返れば、ちょうどまさに宗教学から障害学に関心が移行していた時期だったのだろう。
その後は、障害学に完全に転換するが、日本への関心は薄れることなく、2021年5月にペンシルベニア大学東アジア言語・文明研究科博士課程から”Politics and Prosthetics: 150 Years of Disability in Japan”(政治と義肢装具:日本の障害の150年)と題する博士論文で博士号を授与される。この博士論文を基にした著作はオックスフォード大学出版会から生前、すでに出版が決まっていた。2025年の刊行に向けて、共著論文のあるモナシュ大学のキャロリン・スティーブンス (Carolyn Stevens)やデラウェア大学のフランク・モンデリ(Frank Mondelli)が尽力している。
障害学に取り組み始めてからの歩みも、本当に素晴らしかった。査読付き論文や書籍(分担)を精力的に世に出していた。そして、博士号取得の前から、マークの存在感は急速に高まっていた。学会も開催者である障害学国際セミナー2021(オンライン特別セミナー「新型コロナウイルス感染症と東アジアの障害者」)には日本の報告者として指名され、「日本における支援連携問題の深刻化―新型コロナウイルスと環境・介助・施設の歴史」と題する報告を日本語で行っている。
2021年4月には東京大学東京カレッジにポストドクトラルフェローとして加わっていた。マークはその選択を喜んでいた。そして、これが最後のポストとなった。亡くなった時には、米国の障害学会(Society for Disability Studies)の理事を務めていたほか、障害学会では、2021年に発足した国際委員会で初代の委員を務めていた。私は個人的に勝手に、将来は学会理事、国際委員長、会長などを引き受けてくれたらと夢見ていた。そして障害学を超えて、ドナルド・キーンのような存在になってくれると漠然と感じていた。立岩真也も、立命館大学での自分の仕事の将来をマークに託していた。
マークは、仕事に真剣で、そしてとても親切だった。学会が「ウクライナへのロシア連邦による侵攻と障害者の保護と安全に関する」理事会声明を出した時の英訳も快く手伝ってくれた。2022年4月からは、私の所属する立命館大学生存学研究所の客員研究員(「ブックマン・マーク」という名前で登録していた)を務め、研究所が刊行する英文ジャーナルへの投稿論文の査読を頼んだ時には、24時間も経たないうちに、非常に綿密で良質な査読を行ってくれた。
最後に会ったのは、マークを主人公とするドキュメンタリーの撮影クルーが米国からやってきた時、2022年10月6日、彼の住むお台場の東京国際交流館だった。コロナの影響でだいぶ会えていなかったので、再会できてとても嬉しかった。その時に、クルーと共に来日していた父親のポールとも少しだけ言葉を交わす機会があった。
その晩に以下のメッセージが届いた。

Thank you SO much Nagase-sensei! I am so very appreciative of you coming all the way to Odaiba to interview for the documentary.

You’ve been (and are) such an inspiration to me and you have helped me so much over the years. I’m truly, truly grateful. And I know that my father is as well.

I hope to continue following your example and working to create a more accessible and inclusive society inside Japan and beyond.”
(長瀬先生、大変、ありがとうございます。ドキュメンタリーのインタビューのためにお台場までご足労いただき、感謝申し上げます。
先生はこれまでずっと私に多くのインスピレーションを下さっています。先生は長年にわたって、私をたくさん助けてくださいました。本当に、本当に感謝しています。そして、父も同じ気持ちです。
先生を、これからもお手本にして、いっそうアクセシブルでインクルーシブな社会を日本そして世界で実現するために活動を続けたいと思います。<長瀬訳>)
私は“You have been my inspiration!!!💛”( マークさんこそが私のインスピレーションであり続けています)と応えた。その気持ちは強まりこそすれ、今も変わらない。
訃報が届いたのは、亡くなった翌日の2022年12月17日だった。学会のオンライン理事会を終え、メールをチェックすると、オーストラリアのスティーブンスが、マークの急逝を伝えていた。そのメールを何度か読み直したが、マークの他界を私は理解できなかった。いや、受け入れられなかった。スティーブンスと話して確認せざるを得なかった。とても辛い会話だった。
その会話で、ポールが東京にまもなく到着することが分かった。私も、マークの遺体がある東大病院に向った。ポールと撮影時に会っていたことも背中を押してくれた。そこでポールと再会し、マークの義母のワサナ(イラク出身)と初めて会った。筋ジストロフィーに似た希少難病により、10歳で心臓移植を受けていたマークは、移植後の平均寿命が10数年程度であることを熟知していたらしいことも、その時に知った。マークの主な介助者だった畠山亮の手配で、東京都葛飾区四ツ木の斎場でマークは荼毘に付された。棺の中のマークは、白装束で徳の高い僧侶のようだった。
父親の同級生であり、ホロコーストをテーマとする作品でエミー賞を受賞しているロン・スモール(Ron Small)によってマークの生前から製作が進められていたドキュメンタリー”Mark: A Call to Action”(ブックマン・マーク:行動の軌跡)が完成したのは、2023年末だった。マークの急逝後に、追加のインタビューが行われていた。そして2024年2月末に、東京大学駒場IIキャンパス、上智大学四谷キャンパス、東京大学本郷キャンパスという所属や留学で関係のあった3か所で世界プレミアが開かれた。プレミア直前には、ジャパンタイムズが大きな記事を掲載している。米国では、2024年6月にマークの郷里であるペンシルベニア州ブリンマー(フィラデルフィア郊外)において、プレミアが行われる。

(東京プレミアのポスター。車いす姿のマーク。グライドファンド提供)

この作品を通じて、自分の知らないマークを知ると共に彼を取り巻く人々の姿をとても興味深く感じた。752グラムの超未熟児としての誕生、10歳の心臓移植、病床での他の病児との交流と死別、小学校時代の教師との生意気なやりとり、日本のアニメとの出会い、妹との関係、実母との死別、義母との交流、そして何より父親(もう一人の主役)との多面的な関係等々である。
本郷でのプレミアでは、今村が上映後に挨拶した。自分がバリアフリーなアパートを紹介した経緯について紹介し、マークが「精力的に行動されて、あっという間に日本中の障害者運動のリーダーたちに会いまくり、Facebookを見ると、私の友人の障害者関係の人とはほとんど繋がっていて驚いたものでした」と語っている。マークの驚異的なネットワークを示している。
マークがこのドキュメンタリーで伝えようとしているのは、自分が多くを成し遂げられた理由は、父親であるポールをはじめとする、可能性を信じる共同体(コミュニティ)のおかげであり、そうした共同体の支えがあれば、誰もがより多くを成し遂げられるという強い思いである。そして、マークは、そうした支えの提供を自ら実践していた。
そうした実践として、父と共に生前に発足させていたのが、グライドファンド(Global Leaders in International Disability Education Fund)である。その目的は、誰もが自立した生き方ができるインクルーシブな社会づくりを目的とする、障害学生の国際的な教育機会への金銭的支援である。それは自らが障害学生として経験した困難(例えば、バリアフリーな住居探し)を他の障害者が経験せずに済むようにしたいという思いに基づくものだろう。
このファンド以外でも、マークの遺産はすでに動き始めている。Anthropology of Japan in Japan(AJJ)はマーク・ブックマン賞を創設し、Esben Petersen(立命館大学・南山大学)らが2023年に第1回の受賞者となっている。2024年3月には、柳井イニシャティブ(日本文化研究の伝承と伝播を目的とする早稲田大学とカルフォルニア大学ロサンゼルス校との共同連携事業)の一環として、Japan Past and Present (JPP)という日本文化の研究や教育に関する国境を超えた情報ハブが立ち上がり、その中でDisability Studies in Japan (日本の障害学)に関するプロジェクトがマークに捧げられている。

(2024年2月28日、高野山大学にて。右がワサナ、左がポール。二人はマークの遺灰を手にしている。長瀬撮影)

東京のプレミア終了後、ご両親と真言密教の聖地であり、その開祖、空海が眠る高野山を訪問し、マークが一度は留学を目指した高野山大学にも一緒に足を運んだ。そこで、駒場でのプレミアで、マークが取り組んでいたのは「私たち人間がこの宇宙で生きていることの意味や謎に関する真理」ではなかったかと福島智が語っていたことに思いを馳せた。そして空海について本当に遅まきながら読み始めると、元高野山大学学長である松永有慶の「現実の有限世界の万物が、そのまま真理の無限の世界とつながるという世界観を展開した空海」(「空海」、岩波書店)という言葉に出会った。マークはまさにこうした真言密教の世界観と共鳴していたのかもしれない。真言密教の世界観と障害学の接点の有無についてマークから聞けなかったのは、数えきれない心残りの一つである。

(敬称略)

 

 

『障害学研究』21号 エッセイ募集

学会誌『障害学研究』第21号(2024年9月刊行予定)のエッセイを、下記の要領で募集いたしますので、ふるってご投稿ください。

■ 分量:1200文字以上 10000文字以内(詳しくは末尾の審査規定・投稿規定を参照)
■ 締切:2024年3月15日
■ 送付先:yukara「あっと」akashi.co.jp
(送信の際は「あっと」を@に変えてください)
【担当者】明石書店 辛島悠さん

【備考】
1.送付にあたっては、

1)原稿は添付ファイルとし、
2)メール本文には投稿者の氏名と所属、エッセイタイトルを記し、
3)メールの件名を、「障害学研究第21号 投稿論文」としてください。
受領しましたら、こちらから確認のメールをお送りいたします。万が一、送信後3日を経ても確認メールが届かない場合は、事故の可能性がありますので、恐れ入りますが、その旨を記した上、再度原稿をお送りください。

2.掲載にあたって、会員名簿にご登録のお名前とは別のお名前(ペンネーム等)をご使用になる場合は、そのペンネーム等に加えて、学会名簿にある名前を原稿に併記して、ご投稿ください(投稿資格の有無を確認する際に必要になります)。加えて、どちらの名前での掲載を希望するかも明記してください。

障害学会・第11期編集委員会
委員長 矢吹康夫

『障害学会』エッセイ審査規定・投稿規定


21号エッセイ選者・プロフィール・求めるエッセイを掲載します。

◆ 伊是名夏子(いぜな・なつこ)さん/コラムニスト。著書に『ママは身長100cm』(ハフポストブックス)。
◇ あなたが悩んできたこと、驚いたこと、悔しかったこと、傷ついたことのモヤモヤをまずは言葉に、文にしてみてください。読み手がいるので伝え方も大切ですが、それ以上に自分の中にある思いをまずは言葉にしてみてください。あなたにしか伝えられないことはあるはずです。飾らない、まっすぐな思いが、意外にも多くの人の気づき、共感になります。そして悩みながらも書くことは、自分を取り戻し、力を得ることでもあります。時間はかかり、苦しいこともあると思いますが、あきらめずに書いて下さい。

◆ 齋藤陽道(さいとう・はるみち)さん/写真家、文筆業。著書に『異なり記念日』医学書院、『声めぐり』晶文社、『育児まんが日記 せかいはことば』ナナロク社など。
◇ 私ではない誰かが書いた物語や番組に浸かっていると、無意識に、そうした言葉をあてがってしまい、自分自身の本当の感情を見失ってしまうことがあります。注意深く、そうした言葉を注意深くはぶいて、私の感動、私の悲しみ、私のこの感情を、大事にした、正直な、切実なことばを、書いてみてください。それはきっと、みんなにとっての宝です。

◆ 市川沙央(いちかわ・さおう)さん/作家。『ハンチバック』(文藝春秋)で第169回芥川賞受賞。筋疾患先天性ミオパチーによる医療的ケア当事者。
◇ こんなこと書いちゃっていいんだろうか? 皆にとってはくだらないことだろうか? そう思いながらも自分がいちばん書きたいことを私はいつも書いています。意外とそれが褒められます。あなたがいちばん書きたいことをぜひ書いてください。身体から溢れだす率直な言葉をつかまえた、身も蓋もない本音の文章を、お待ちしています。

◆ 御代田太一(みよだ・たいち)さん/元救護施設生活支援員。著書に『よるべない100人のそばに居る。<救護施設ひのたに園とぼく>』河出書房新社、福祉に関するリトルプレス『潜福』。
◇ 言葉のトンネルを掘り進める作業は、往々にして地道で孤独なものです。でも深く掘れば掘るほどそのトンネルは、同じ誰かとつながり、新しい自分と出会い直すための通路にもなるはずです。「こんなことを考えているのは世界で自分だけなんじゃないか」と思えるようなことも、一人称にこだわって、紡いでみてもらえたら嬉しいです。皆様の文章を、心から楽しみにしております。

立岩真也、ジョン・ヒギョン、障害学国際セミナー

長瀬修

立岩真也の追悼ビデオが5分以上にわたり流されたのは、2023年10月27日、ソウルで開催された障害学国際セミナー2023開会式だった。韓国で2010年、2012年、2014年、2017年と4回開催されてきた障害学国際セミナーをはじめとする様々な場面での立岩の姿が映し出された。
深い思いと温かい記憶に満ちたビデオを作成し、解説したのは同セミナーのホストを務めた韓国障害学会の国際委員長であるジョン・ヒギョン(鄭喜慶:光州大学社会福祉学部学部長)である。        (障害学国際セミナー2023でのジョン・ヒギョン)

韓国からの留学生であり、自立生活センター立川で介助者経験のあるジョンは2007年4月に立岩が所属する立命館大学大学院先端総合学術研究科の博士課程に入学している。立岩はジョンの指導教員(博士論文の主査)だった。
障害学会でも、立岩が大会長を務め、立命館大学で開催された2007年の第4回大会2009年の第6回大会の2回、研究テーマだった韓国の障害者運動について報告している。ジョンは立岩が著者の一人である『生の技法』(1995年増補改訂版)を2010年に韓国語に翻訳している。韓国での立岩の評価はとても高く、「カリスマ的存在」だったと2010年のセミナーの参加者の一人は述べている。
障害学国際セミナーが2010年に日韓の障害学の交流の場として発足したのは、ジョンと立岩の出会いがあったからだ。そうして誕生した障害学国際セミナーの英文の名称は、“Korea Japan Disability Studies Forum” であり、韓国と日本を冠していた。
私が最初に参加したのは2012年のソウルでのセミナーだった。焼肉屋でサムギョプサルを頬張り、ソジュを飲みながら韓国側の参加者と議論を交わす立岩は本当に楽しそうだった。
日韓の障害学国際セミナーに中国のグループが加わったのは、2013年秋に京都で、立岩が率いる立命館大学生存学研究所が主催し、中国の障害者組織と障害学の研究グループそれぞれの代表を招いた研究会がきっかけだった。今では想像できないほど、自由な交流が中国と可能だった時代だった。国際交流に熱心な立岩と私は、日韓の障害学国際セミナーと同様に、日中の定期的セミナーを提案したが、前年の尖閣問題以降、日中関係は悪化していたため、政治的に難しいという感触だった。そこで、日韓のセミナーに中国グループが加わる形はどうかと提案すると、賛同が得られた。韓国側と相談し、2014年のソウルでのセミナーに中国グループが初めて参加した。
中国グループがホストとなり北京で開催された2015年のセミナーから日韓中の枠組みとなり、障害学国際セミナーという日本語の名称は変わらなかったが、英語では”East Asia Disability Studies Forum” とし、東アジアという名称に変更した。
台湾の障害学グループが初めて加わったのは立命館大学大阪いばらきキャンパスで生存学研究所がホストとして開催された2016年のセミナーだった。研究所の一員として私が企画運営を担当したが、立命館のアクセシビリティの課題で肝を冷やした
現在の日韓中台という枠組みが確立したのは、このセミナーだった。中国グループが加わった段階で、それまでの日本語と韓国語に加えて、中国語の通訳も加わり、音声言語だけでも3言語の同時通訳という体制となっていた。英語ではなく、それぞれの言語で参加できる形態の維持は、運営・経費面で大変な負担だったが、立岩にとって大きなこだわりだった。英語ができることが条件とならず、広範な参加が可能なセミナー運営が現在も維持されているのは、立岩のビジョンのおかげである。
なお、同セミナーの集合写真に神妙な顔で映っている立岩のもう一つのこだわりは、背景に映っているセミナーの看板の左端の月やススキと右端のウサギだった。これらは立岩の趣味であるのみならず、海外ゲストへのもてなしの気持の表れだっただろう。
この時期、立岩は新たなネットワークを強化するために、障害学国際セミナー以外でも東アジアに足を運んだ。2016年11月に台湾の東海岸の花蓮で開かれた台湾社会学会大会で報告を行っている。台北からの2時間半を越す列車の移動中、同行したアン・ヒョスクと私は車窓から見える美しい景色に目を奪われたが、立岩は持参した原稿の修正に集中し、窓外に目を向けることはなかった。2017年12月には中国の武漢で開かれた、中国の障害者政策に関する国際会議でも報告を行っている。

(2016年、花蓮の七星潭での立岩と、同行した韓国の留学生、アン・ヒョスク)

障害学会と障害学国際セミナーとの関係をここで振り返る。まず、学会と東アジアの障害学との接点に含まれるのは、2014年に沖縄で開催された第11回障害学会大会プレ企画「東アジアの障害学の展望――中国・沖縄・日本」(学会は後援)である。2012年の障害者権利条約の初回審査において、勇敢にもパラレルレポートを国連障害者権利委員会に提出した中国の障害者組織障害学研究グループのメンバーが報告した。堀正嗣会長と岩田直子大会長の尽力の成果である。
2018年の浜松での大会(田島明子大会長)では、同年に発足したばかりの台湾障害学会の張恒豪会長が自費で参加し、「台湾の障害学――問題と課題」と題する講演を行って下さっている。この時、立岩は会長である。
学会が共催に加わったのは、2020年のセミナーからである。本来は、2020年秋に京都で開催予定だったのだが、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)の影響によりオンラインで開催された。学会大会もやはりコロナの影響により、オンラインで開催された。立岩は3回目の大会長を務めた。立岩は会長であり、2020年の学会大会とセミナーを連続して京都で開催する構想を持っていた。コロナの影響で実現しなかったのは、かえすがえすも残念でならない。
京都での対面での開催を模索したものの実現せず、2020年から2022年まで、3回連続のオンラインセミナーを情報保障付きで開催に成功し、その後、バトンを韓国障害学会に渡したのだった。情報化社会のユニバーサルアクセスを全体テーマとするソウルセミナーでは、石川准(学会会長)の放送やメディアのアクセシビリティの政策についての口頭報告(ビデオ)と、学会員によるポスター報告が共に初めての試みとして実現した。
ソウルでのセミナーは、最後に対面で開催された2019年10月の武漢でのセミナーから4年ぶりの対面開催だった。長期にわたる厳しい都市封鎖を経験した武漢のグループとの再会を含め、生身で会える形での開催は格別だった。しかし、そこに立岩の姿はなかった。それでも立岩の存在は間違いなくあった。立岩のビジョンとリーダーシップの成果がそこにあった。
それは2024年には台湾に引き継がれる。ソウルでは、台湾障害学会会長の周怡君(東呉大学教授)から障害学国際セミナー2024について、「障害者権利条約を超えて」を全体テーマとして、①支援付き意思決定、②働く場での合理的配慮、③脱施設化、④障害者権利条約の可能性と限界を4つのサブテーマとして、2024年10月25日、26日に台湾で開催する旨が表明された。
ソウルの障害学国際セミナー2023で立岩の追悼ビデオを見ることができたのは、ひとえにジョンのおかげである。「カムサハムニダ」。日本国外で立岩が最も評価されたのは韓国だった。それを可能にしたのもジョンの力である。国境を超えた立岩とジョンの出会いに心から感謝する。

(台湾での障害学国際セミナー2018にて。右前がジョン、その上が筆者、その左が立岩、左端は高雅郁(障害学会国際委員)

(敬称略)

 

障害学会第11期委員会・ワーキンググループ

第11期委員会(任期:2023年9月から2年間)

◆研究企画委員会
熊谷晋一郎(東京大学/委員長)
山下幸子(淑徳大学)
杉野昭博(元・東京都立大学)
武藤香織(東京大学)
長谷川唯(NPO法人ある)

◆編集委員会
矢吹康夫(中京大学/委員長)
田中恵美子(東京家政大学)
石島健太郎(東京都立大学)
木口恵美子(鶴見大学)
中根成寿(京都府立大学)
圓山里子(新潟医療福祉カレッジ)

◆国際委員会
飯野由里子(東京大学)
伊東香純(立命館大学)
高雅郁(立命館大学)
日下部美佳(京都大学)
後藤悠里(成城大学)
鈴木良(同志社大学)
田中恵美子(東京家政大学)
長瀬修(立命館大学/委員長)
ホワニシャン・アストギク(ロシア・アルメニア大学)
ミトー・アンヌ=リーズ(パリ・シテ大学)

◆広報委員会
岡部耕典(早稲田大学)
市野川容孝(東京大学)

◆アクセシビリティ委員会
川島聡(放送大学/委員長)
瀬山紀子(埼玉大学)
高森明(中央大学)

ワーキングループ

◆20周年記念出版企画WG
【2021年9月から2024年3月までの予定】
岡部耕典(早稲田大学)
山下幸子(淑徳大学/リーダー)
川島聡(放送大学)
高森明(中央大学)

◆20周年記念大会企画WG
【2022年4月~2024年3月までの予定】
石川准(静岡県立大学)
岡部耕典(早稲田大学)
川島聡(放送大学)
熊谷晋一郎(東京大学)
田中恵美子(東京家政大学)
長瀬修(立命館大学/リーダー)
堀田義太郎(東京理科大学)
山下幸子(淑徳大学)

◆倫理規程策定WG
【2023年9月~2025年9月までの予定】
深田耕一郎(女子栄養大学/リーダー)
川島 聡(放送大学)
瀬山紀子(埼玉大学)
廣野俊輔(同志社大学)

障害学会第11期理事会

第11期理事会 (任期:2023年9月から2年間)

会  長  石川准(静岡県立大学名誉教授)
事務局長  廣野俊輔(同志社大学)

市野川容孝(東京大学)
伊東香純(立命館大学)
岡部耕典(早稲田大学)
川島聡(放送大学)
熊谷晋一郎(東京大学)
瀬山紀子(埼玉大学)
田中恵美子(東京家政大学)
長瀬修(立命館大学)
西倉実季(東京理科大学)
深田耕一郎(女子栄養大学)
堀田義太郎(東京理科大学)
矢吹康夫(中京大学)
山下幸子(淑徳大学)

会計監査  増田洋介、與那嶺司

合理的配慮等に関するガイドライン1.0

合理的配慮等に関するガイドライン1.0

1.目的

本ガイドラインは、障害学会(以下、本学会という)の事業活動における障害のある会員及び非会員(以下、障害者という)に対する差別の解消に関し、合理的配慮等の必要な事項を定めることにより、本学会会則第2条に定める本学会の目的の達成に資することを目的とする。

2.障害者差別の解消

本学会は、障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(平成25年法律第65号)その他関係法令を遵守し、本学会の事業活動において障害者差別を行わず、障害者差別の解消を推進する。障害者差別とは、障害者に対して不当な差別的取扱いをすることと合理的配慮を行わないことをいう。

3.不当な差別的取扱い

不当な差別的取扱いとは、本学会が障害を理由に正当な理由なく障害者を非障害者より不利に扱うことをいう。正当な理由に相当するのは、障害者を不利に扱うことが客観的に見て正当な目的の下に行われたものであり、その目的に照らしてやむを得ないと言える場合である。本学会は、正当な理由があると判断した場合には、障害者にその理由を丁寧に説明し、理解を得るよう努める。

4.合理的配慮

本学会は、個々の場面において特定の障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合に、建設的対話を通じて合理的配慮を行う。合理的配慮とは、本学会が特定の障害者個人のニーズに応じて過重な負担のない範囲で行う社会的障壁(物理面、情報コミュニケーション面、制度面等の障壁)の除去であって、障害者の意向を十分に尊重し、非障害者との機会平等を実現し、本学会の本来的業務に付随し、かつ、本学会の事業活動の本質的部分を変更しないものをいう。社会的障壁の除去が本学会にとって過重な負担に当たるか否かは、当該除去の事業活動への影響の程度、当該除去の実現可能性の程度、当該除去の費用・負担の程度、及び本学会の事業規模・財政状況を総合的に考慮に入れて、具体的・客観的に判断する。本学会は、過重な負担に当たると判断した場合は、障害者に丁寧にその理由を説明し、理解を得るよう努める。

5.事前的改善措置(環境の整備)

本学会は、事前的改善措置を積極的に講じる。事前的改善措置とは、本学会があらかじめ不特定多数の障害者を主な対象として社会的障壁を除去しておくことをいう。

6.研究大会及び総会

本学会は、研究大会及び総会の開催に当たり、開催校と協力して事前的改善措置を講じるとともに合理的配慮を行う。本学会は、手話通訳及び文字通訳を確保し、休憩室を準備し、障害者の支援者の研究大会及び総会への参加を無料とする。また、本学会は研究大会及び総会の資料のアクセシビリティを確保する。

7.理事会及び理事選挙

本学会は、理事会の開催及び理事選挙の実施に当たり、事前的改善措置を講じるとともに合理的配慮を行う。本学会は、理事会を対面型で開催する場合には、障害のある理事の支援者に交通費及び宿泊費が必要となるときはこれらを支給するとともに、理事の希望によりオンライン参加を認める。また、本学会は理事会及び理事選挙の資料のアクセシビリティを確保する。

8.学会誌

本学会は、出版社と協力して事前的改善措置を講じるとともに合理的配慮を行う。本学会は、障害者が自身に配布された学会誌又は自身が購入した学会誌を読む際の社会的障壁の除去のために必要かつ適切な場合には、当該障害者にテキストデータを無償で提供する。

9.ホームページ

本学会は、ワールド・ワイド・ウェブ・コンソーシアム(W3C)のウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドラインに準拠して、本学会のホームページhttp://www.jsds.org/ の情報を適切に構造化して表示するなど当該ホームページのアクセシビリティを確保する。


※障害学会の合理的配慮等ガイドライン 1.0はクリエイティブ・コモンズ表示 4.0国際ライセンスで提供されています。

        ライセンス認証に関わる相談窓口:アクセシビリティ委員会
            jsds.accessibility「あっと」gmail.com
           (送信の際は「あっと」を@に変えてください)