『障害学研究』第23号 自由投稿論文の募集

学会誌『障害学研究』第23号(2026年9月刊行予定)の自由投稿論文を、下記の要領で募集いたしますので、ふるってご投稿ください。

・本文末の「投稿規程」と「執筆要項」を熟読の上、ご投稿ください。また、投稿にあたっては「倫理綱領」もご参照ください。
・図表を添付する際の形式や執筆フォームなど、よくご確認の上、ご投稿ください。

■分量:20,000字以内(詳しくは末尾の「執筆要項」を参照)
■締切:2025年9月30日(火)23:59
■送付先:yukara「あっと」akashi.co.jp
(送信の際は「あっと」を@に変えてください)

【担当者】 明石書店 辛島悠さん

【備考】
1.送付にあたっては、
1)原稿は添付ファイルとし、
2)メール本文には投稿者の氏名と所属、論文タイトルを記し、
3)メールの件名を、「障害学研究第23号 投稿論文」としてください。
受領しましたら、こちらから確認のメールをお送りいたします。万が一、送信後3日を経ても確認メールが届かない場合は、事故の可能性がありますので、恐れ入りますが、その旨を記した上、再度原稿をお送りください。

2.掲載にあたって、会員名簿にご登録のお名前とは別のお名前(ペンネーム等)をご使用になる場合は、そのペンネーム等に加えて、学会名簿にある名前を原稿に併記して、ご投稿ください(投稿資格の有無を確認する際に必要になります)。加えて、どちらの名前での掲載を希望するかも明記してください。

3.投稿後、査読(最大2回)をおこなって、掲載の可否を決定します。

4.論文投稿に不慣れな方は、研究論文執筆に関する一般的な留意点について、研究経験の豊富な人のアドバイスを受けたり、学術論文に関する一般的なルールを参考にしてください。

【問い合わせ先】
yukara「あっと」akashi.co.jp(送信の際は「あっと」を@に変えてください)

【担当者】
明石書店 辛島悠さん

障害学会・第11期編集委員会
委員長 矢吹康夫

◇ 『障害学研究』自由投稿論文・投稿規程
https://jsds-org.sakura.ne.jp/2017/10/30/paper/

◇ 『障害学研究』自由投稿論文・執筆要項
https://jsds-org.sakura.ne.jp/2017/10/30/guidelines/

◇ 障害学会 倫理綱領
https://jsds-org.sakura.ne.jp/category/ethics/

障害学会第22回大会

日 程:2025年9月20日(土)・21日(日)
会 場:女子栄養大学坂戸キャンパス(埼玉県坂戸市千代田3-9-21)
大会長:深田耕一郎
形 態:自由報告とシンポジウムは対面形式+オンライン配信
ポスター報告、総会は対面形式
共 催:女子栄養大学 福祉社会学研究室

詳細は、以下の障害学会第22回大会ホームページをご覧ください。(情報は随時更新されます)https://jsds-org.sakura.ne.jp/jsds22th/

学術会議法案に関する障害学会の理事会声明

障害学会理事会
2025年4月26日

2025年3月7日、日本学術会議法案が閣議決定され、第217回通常国会に提出されました。この動きを受け、同年4月15日から16日にかけて開催された第194回日本学術会議総会において、声明「次世代につなぐ日本学術会議の継続と発展に向けて~政府による日本学術会議法案の国会提出にあたって~」および決議「日本学術会議法案の修正について」がそれぞれ採択されました。
障害学会理事会は、これらの声明と決議を強く支持します。本法案は、ナショナル・アカデミーとして求められる五つの基本要件を満たしておらず、日本学術会議が本来有する自主性と独立性を損ない、ひいてはわが国の学術の自由な発展に支障を来すおそれがあるためです。つきましては、国会において慎重な審議のうえで、本法案に必要な修正がなされることを強く求めます。

研究会「心と法律:慈悲から人権へ」

日時 2025年3月14日金曜日午後2時―3時45分
講師 アンヌ=リーズ・ミトー
会場 東京大学本郷キャンパス教育学部棟1階109教室
https://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_09_01_j.html
主催 障害学会
東京大学バリアフリー教育開発研究センター
情報保障 手話通訳・文字通訳
開催形式 対面50名(事前申し込み必要)

講演動画 https://youtu.be/F08blkBzT9A ※公開25.4.25まで

講演テキスト PDF ※公開25.4.25まで

講演スライド  PDF  ※公開25.4.25まで

趣旨
障害学会の国際委員であり昨年、日本の障害をテーマとして”Le coeur et le droit: Le handicap dans la société japonaise”(『心と法律(慈悲から人権へ)』)をフランス語で刊行(英語は2026年予定)されたAnne-Lise Mithout(アンヌ=リーズ・ミトー)さんを講師として、同書の内容を踏まえた研究会の開催を行います。同書の内容は下記*。

プログラム
2:00 開会挨拶 長瀬修(障害学会理事・国際委員長)
2:05 報告 「心と法律:慈悲から人権へ」アンヌ=リーズ・ミトー(パリ・シテ大学准教授)
3:05 質疑応答 司会:伊東香純(障害学会理事)
3:40 閉会挨拶 飯野由里子(東京大学バリアフリー教育開発研究センター特任教授)
総合司会:田中恵美子(障害学会理事)

参加フォーム
https://docs.google.com/forms/d/1IXnEIRb0K3dwFuqpctj3FEmLHLChk9qwPoWjLXKcPDg

アクセシビリティに問題のある場合や、ご質問のある場合には、以下の3名に同報でご連絡ください。
障害学会国際委員会(理事)
長瀬:Nagase@an.email.ne.jp
田中:etanaka@tokyo-kasei.ac.jp
伊東:itokasumi24@gmail.com

*目次
第1章 1945年以前の障害者の歴史
1. 中世以前の障害者の位置~宗教的信念と慈善措置
2. 盲人の共同体と当道座の出現
3. 江戸時代における国家統制の強化
4. 近代化と障害者
第2章 障害者福祉の歴史~リハビリテーションからインクルージョンへ
1. 福祉国家建設時代におけるリハビリテーションと施設化の発展
2. 社会参加概念の出現へ
3. 新自由主義の時代におけるケアと福祉政策
第3章 「我々は愛と正義を拒否する」~ 障害者運動 の発展
1. 障害者運動の初期~カテゴリーに基づく動員
2. 青い芝の会~優生思想に反対する運動
3. 青い芝の会の遺産~交差点的視点から人権を守る
第4章 教育制度における障害児の位置~支援と排除
1. 1945年以前の特殊教育~社会事業から国家総動員へ
2. 戦後から2000年代まで~特殊教育から統合教育へ
3. 21世紀の「特別支援教育」
第5章 個人の雇用可能性から職場の働きやすさへ
1. 二重の雇用システム
2. 就労支援事業所で働く
3. 一般企業で働く

障害学会 倫理綱領

〔前文〕
障害学会(以下、学会という。)は、学会会員(以下、会員という。)が研究、教育、学会運営その他の学会活動にあたって依拠すべき基本方針を定め、「障害学会倫理綱領」(以下、綱領という。)として発表する。
学会は、障害を社会及び文化の視点から研究する障害学(Disability Studies)の発展及び普及並びに会員相互の研究上の連携及び協力を図ることを目的として2003年に設立された。以来、学会は、学術研究を遂行するのみならず、新しい価値を創出する創造性及び社会変革に向けた実践性を有するなど、独自の特性を発揮してきた。そのため、障害学に携わる会員には、価値創造及び社会変革を担って社会及び文化に寄与する者として、倫理的で公正な態度が求められている。
また、障害学は人間及び社会集団を対象とするため、障害学に携わる会員は研究、教育、学会運営その他の学会活動における対象者(以下、対象者という。)の人権を尊重しなければならず、対象者のプライバシーの保護、対象者の被りうる不利益への配慮等に留意する必要がある。同時に会員は、研究者としての社会的責任を自覚し、研究の目的、手法、必要性、社会的影響等にも留意する必要がある。
学会は、障害学の研究及び教育の発展及び質的向上、会員相互の交流の活性化、社会からの信頼の維持及び確保等のために、会員が研究、教育、学会運営その他の学会活動において遵守すべき倫理に関する事項を綱領として以下のとおり定めることとする。

第1条〔公正及び信頼の確保〕
会員は、公正を維持し、社会の信頼を損なわないよう努める。

第2条〔研究目的及び研究手法の倫理的妥当性〕
会員は、自己の研究の社会的影響に留意して、研究目的及び研究手法の倫理的妥当性を考慮しなければならない。

第3条〔人権の尊重〕
会員は、人権を尊重しなければならない。

第4条〔プライバシーの保護〕
会員は、対象者のプライバシーを侵してはならないものとし、会員相互のプライバシーの保護に最大限留意しなければならない。

第5条〔差別の禁止〕
会員は、障害の有無、思想信条、性別、性的指向、性自認、性表現、年齢、出自、国籍、宗教、民族的背景、健康状態、家族状況、婚姻関係等によるいかなる差別(合理的配慮の不提供を含む。)もしてはならない。

第6条〔ハラスメントの禁止〕
会員は、ハラスメント(セクシュアル・ハラスメント、パワー・ハラスメント、アカデミック・ハラスメント、モラル・ハラスメントを含む。)をしてはならない。

第7条〔研究資金の適正な取扱い〕
会員は、研究資金を適正に取り扱わなければならない。

第8条〔著作権侵害及び不正行為の禁止〕
会員は、研究のオリジナリティを尊重し、著作権を侵害してはならず、捏造、改ざん、盗用、二重投稿等をしてはならない。
2 会員は、他の者の協力を得て行った研究をもとに成果を公表する場合は、当該他の者の権利を十分に尊重しなければならない。

第9条〔研究成果の公表〕
会員は、研究の公益性及び社会的責任を自覚するものとし、研究成果の公表に努め、社会的還元に留意する。

第10条〔相互批判及び相互検証の場の確保〕
会員は、開かれた態度を保持し、相互批判及び相互検証の場の確保に努める。

附則
1.綱領に関する問い合わせ並びに障害学の研究及び教育に関する倫理的問題への相談等は、学会理事会が対応する。
2.綱領の改正は、学会理事会の議を経ることを要する。
3.綱領は、2024年9月16日から施行する。

『障害学研究』22号 エッセイ募集

学会誌『障害学研究』第22号(2025年9月刊行予定)のエッセイを、下記の要領で募集いたしますので、ふるってご投稿ください。

■ 分量:1200文字以上 10000文字以内(詳しくは末尾の審査規定を参照)
■ 締切:2025年3月15日
■ 送付先:yukara「あっと」akashi.co.jp
(送信の際は「あっと」を@に変えてください)

【担当者】 明石書店 辛島悠さん

【備考】
1.送付にあたっては、

1)原稿は添付ファイルとし、
2)メール本文には投稿者の氏名と所属、エッセイタイトルを記し、
3)メールの件名を、「障害学研究第22号エッセイ」としてください。
受領しましたら、こちらから確認のメールをお送りいたします。万が一、送信後3日を経ても確認メールが届かない場合は、事故の可能性がありますので、恐れ入りますが、その旨を記した上、再度原稿をお送りください。

2.掲載にあたって、会員名簿にご登録のお名前とは別のお名前(ペンネーム等)をご使用になる場合は、そのペンネーム等に加えて、学会名簿にある名前を原稿に併記して、ご投稿ください(投稿資格の有無を確認する際に必要になります)。加えて、どちらの名前での掲載を希望するかも明記してください。

障害学会・第11期編集委員会
委員長 矢吹康夫

『障害学研究』エッセイ審査規定・投稿規定
https://jsds-org.sakura.ne.jp/2017/10/30/essay/

22号 エッセイ選者・プロフィール・求めるエッセイを掲載します。

◆ 伊是名夏子(いぜな・なつこ)さん/コラムニスト。著書に『ママは身長100cm』(ハフポストブックス)。
◇ あなたが悩んできたこと、驚いたこと、悔しかったこと、傷ついたことのモヤモヤをまずは言葉に、文にしてみてください。読み手がいるので伝え方も大切ですが、それ以上に自分の中にある思いをまずは言葉にしてみてください。あなたにしか伝えられないことはあるはずです。飾らない、まっすぐな思いが、意外にも多くの人の気づき、共感になります。そして悩みながらも書くことは、自分を取り戻し、力を得ることでもあります。時間はかかり、苦しいこともあると思いますが、あきらめずに書いて下さい。

◆ 齋藤陽道(さいとう・はるみち)さん/写真家、文筆業。著書に『異なり記念日』医学書院、『声めぐり』晶文社、『育児まんが日記 せかいはことば』ナナロク社など。
◇ 私ではない誰かが書いた物語や番組に浸かっていると、無意識に、そうした言葉をあてがってしまい、自分自身の本当の感情を見失ってしまうことがあります。注意深く、そうした言葉を注意深くはぶいて、私の感動、私の悲しみ、私のこの感情を、大事にした、正直な、切実なことばを、書いてみてください。それはきっと、みんなにとっての宝です。

◆ 市川沙央(いちかわ・さおう)さん/作家。『ハンチバック』(文藝春秋)で第169回芥川賞受賞。筋疾患先天性ミオパチーによる医療的ケア当事者。
◇ こんなこと書いちゃっていいんだろうか? 皆にとってはくだらないことだろうか? そう思いながらも自分がいちばん書きたいことを私はいつも書いています。意外とそれが褒められます。あなたがいちばん書きたいことをぜひ書いてください。身体から溢れだす率直な言葉をつかまえた、身も蓋もない本音の文章を、お待ちしています。

◆ 御代田太一(みよだ・たいち)さん/元救護施設生活支援員。著書に『よるべない100人のそばに居る。<救護施設ひのたに園とぼく>』河出書房新社、福祉に関するリトルプレス『潜福』。
◇ 言葉のトンネルを掘り進める作業は、往々にして地道で孤独なものです。でも深く掘れば掘るほどそのトンネルは、同じ誰かとつながり、新しい自分と出会い直すための通路にもなるはずです。「こんなことを考えているのは世界で自分だけなんじゃないか」と思えるようなことも、一人称にこだわって、紡いでみてもらえたら嬉しいです。皆様の文章を、心から楽しみにしております。

樋口恵子さんと日本の障害福祉の国際化

田中恵美子

1. はじめに
2023年9月15日、樋口恵子さんが亡くなった。あの日からもう一年が経とうとしている。
私は9月13日に恵子さんにメールを送り、9月16日に電話で話そうと約束していた。その日は第20回障害学会(2023年9月16日、17日開催 於:東京大学)があって、私が書いた樋口恵子さんと近藤秀夫さんの本(田中2023)が先行販売されることになっていたからだ。「会場から電話する」と書いた私のメールに返信して、恵子さんは「本の発売にワクワクしている、その一方で、近藤さんが少し疲れ気味で電話に出るのを億劫がっている」と伝えてきた。本が手元に届いたら近藤さんもきっと喜んで電話に出てくれるだろう。そう思っていた。
それなのに。
私は、二度と恵子さんと話すことはできなかった。障害学会の会場からの電話には、お姉さんがでて、「恵子は昨日亡くなりました」とおっしゃった。それを聞いたときの気持ちは、でも忘れられない。人生にこんなことがあるのかと思った。
恵子さんの死因は、椅子から落ち、頭を打ってしまったことだったが、そのだいぶ前から肺が弱っていた。2018年に私がインタビューしたときの恵子さんの年齢は67歳だったが、肺が95歳だといわれたといっていた。2023年の5月には入院が長引き、「私の肺は限界のようです。病院のベッドの上では終わりたくない。誇りあるQOLを、自宅であなたのまとめてくれた本をだきしめて終わりたいと思います。ホントにありがとう」というメールが来て、びっくりし、四国に住む友人に連絡して会いに行ってもらったりした。そのころから“その日”を予感させ、ご自身も準備をしてきていた。しかし、、、それでもやっぱり急だった。
樋口恵子さんは、1980年代の日本の障害者自立生活運動における中心人物の一人であり、国際的にも活躍した一人である。今回は恵子さんの死を悼み、恵子さんの国際的な活躍とその影響について考察してみたいと思う。

2. 国際障害者年のころ―日本の障害福祉の国際化
恵子さんが海外との接点を持ち始めたのは、国際障害者年を契機としていた。恵子さんだけではない。多くの障害者運動のリーダーたちが、いや、日本の障害者施策そのものが海外との距離を縮めたのは国際障害者年のころだった。
1979年にはアメリカから自立生活運動の父と呼ばれるエド・ロバーツが来日し、講演を行った。そのころから徐々に国際化の波が押し寄せてきていた。1980年になると、近藤さんは車いすに乗った公務員として国際障害者年の国のイベントにも駆り出された。
恵子さんは、近藤さんの職場であった町田で非常勤職員として市の障害福祉事業に関わりながら、1981年にアメリカへのツアー旅行を企画し、日本からバークレーの街に障害者を連れていくという役割も果たした。その原動力は、先に挙げたエド・ロバーツの講演で受けた衝撃にあった。
「障害はパワーだ、エネルギーだ」 というエド・ロバーツの言葉に恵子さんは疑問しか浮かばなかったという。恵子さんにとって障害は仕方なく共に生きるしかないものだったからだ。
障害をどうして「パワー」や「エネルギー」などといえるのか?そんなふうに思える場所アメリカに、エドが働くCIL(Center for Independent Living 自立生活センター)に行ってみたい!!!
恵子さんのハートがググっと動いた瞬間だった。
1981年、ミスタードーナッツが日本で発売されて10年の記念すべき年に、国際障害者年と絡めたイベントが企画され、日本の障害者をアメリカに送る研修が始まった。これが今日まで続く『愛の輪基金』である。新聞に広告が載り、恵子さんもいつかこの研修に参加すると目標を立て、英会話の勉強を始め、コツコツと準備した。そして1984年、晴れて第4期生としてアメリカ・バークレーに旅立ったのであった。研修は半年間だったが、その後一度日本に帰国した後すぐにワシントンD.C.へと飛び、ジャスティン・ダートの下でインターンとして3か月働いた。

3. “障害”は社会にある
恵子さんはアメリカでデートに誘われたり、付き合ってほしいといわれたり、一人の“女性”として扱われた。この経験が自分を肯定する出来事だったと自著(樋口 1998)に記している。またアムトラックでの旅行を計画して受付の女性に障害者割引があるか尋ねたとき、「あなたは障害者ではないから」といわれ、驚いたこともあった。日本では、先ず障害者であって、人間として、ましてや性のある存在としてみられたこともなかった。それがアメリカという土地では同じ自分が人として、女性として認められる。こうした経験を通して、恵子さんは障害は社会にあることを実感していく。そして同じ経験をたくさんの人にしてほしいと、日本に戻ると、障害者旅行の企画をしては障害者を海外に連れて行った。
その中の一人に、千葉れい子さんがいる。彼女はのちに介助犬を日本に初めて紹介する人となるのだが、彼女が恵子さんと一緒に初めてアメリカのツアー旅行に行った時のことだ。彼女は日本でも電動車いすを利用していたが、この旅行ではアメリカで電動車いすを借りた。アメリカの電動車いすは日本の電動車いすに比べてスピードが速かった。乗りなれてくるとスイスイとツアーの旅行客の前に出てこられるようになった。いつもなら人の後ろについて歩き、時々は待ってもらわなくてはならないのに、この旅ではランチのレストランを探す際に、「私が見てくるわ~」と確認して戻ってきたりできる。旅の中でどんどん生き生きとしてくるれい子さんを見て、恵子さんは「道具一つでこんなに人が変わるのか」と実感した。れい子さんもまたこの旅で自分に自信をつけ、やがて自らのやりたいと思っていたことに、もちろん紆余曲折はあったが、進んでいったのだった。
恵子さんは海外旅行の意義をこんなふうに述べている。
「現状では、私達の社会は障害者にとってはなはだ住みにくい社会で、それはあたかも障害がすべての原因であるかのように言われているのだが、果たしてそうなのか。一定のアクセスが整った地域に、短期間でも身を置くことで見えてくるものがある。社会の側がつくった障壁(階段や利用できない公共交通機関など)とそれらが解決されて残るものが何なのかといったことを具体的に理解することができるのである」(樋口 1992)。

4. おわりに
恵子さんはその後、1989年にDPI女性障害者ネットワークを立ち上げ、優生保護法の改正に向けて運動を展開していく。1995年には中国・北京で行われた世界女性会議に出席し、女性運動と協同して分科会「優生保護法って何?」を開催し、そこで恵子さんは

「私は今、障害者として生きてこれてよかったと思います。障害を持って生きてきたことが、私をここまでひっぱり、育ててきたと思います。私にとって障害は私を構成する大切な個性です」

と「『私大好き』宣言」をするに至った。あの時のエド・ロバーツみたいに。
海外で過ごし、一人の人間として、一人の女性として受け止められた経験を通して、恵子さんの中で障害の意味が変わっていった。恵子さんは“障害”を、“社会にある障壁”“生きづらさ”としてとらえ、それを経験する者として健常の女性たちとも連帯し、社会を変えていこうとした。同時に広く世界の“障害”者運動ともつながっていった。もちろん国によって障害は異なる。だが差別や偏見を受けるという共通の経験をした者同士であるというシンパシーによってより強固につながることができたのではないだろうか。
国際障害者年という時代の波に乗ったことも確かである。しかしそれだけではない。現在の国際的な障害者運動の連帯への道が築かれた時代に恵子さんがいたことに大きな意味があったと思う。

文献
樋口恵子1998『エンジョイ自立生活-障害を最高の恵みとして』現代書館
樋口恵子1992「5 自立生活センターにおけるピア・カウンセリングの意義」『自立生活への鍵ーピア・カウンセリングの研究ー』ヒューマンケア協会:35-44
田中恵美子 2023 『障がいを恵みとして、社会を創る―近藤秀夫と樋口恵子』現代書館

 

『障害学研究』第22号 自由投稿論文の募集

学会誌『障害学研究』第22号(2025年9月刊行予定)の自由投稿論文を、下記の要領で募集いたしますので、ふるってご投稿ください。

・本文末の「投稿規程」と「執筆要項」を熟読の上、ご投稿ください。
・図表を添付する際の形式や執筆フォームなど、よくご確認の上、ご投稿ください。

■分 量:20,000字以内 (詳しくは末尾の「執筆要項」を参照)
■締 切:2024年9月30日(月)
■送付先:yukara「あっと」akashi.co.jp
(送信の際は「あっと」を@に変えてください)

【担当者】 明石書店 辛島悠さん

【備考】
1.送付にあたっては、
1)原稿は添付ファイルとし、
2)メール本文には投稿者の氏名と所属、論文タイトルを記し、
3)メールの件名を、「障害学研究第22号 投稿論文」としてください。
受領しましたら、こちらから確認のメールをお送りいたします。万が一、送信後3日を経ても確認メールが届かない場合は、事故の可能性がありますので、恐れ入りますが、その旨を記した上、再度原稿をお送りください。

2.掲載にあたって、会員名簿にご登録のお名前とは別のお名前(ペンネーム等)をご使用になる場合は、そのペンネーム等に加えて、学会名簿にある名前を原稿に併記して、ご投稿ください(投稿資格の有無を確認する際に必要になります)。加えて、どちらの名前での掲載を希望するかも明記してください。

3.投稿後、査読(最大2回)をおこなって、掲載の可否を決定します。

4.論文投稿に不慣れな方は、研究論文執筆に関する一般的な留意点について、研究経験の豊富な人のアドバイスを受けたり、学術論文に関する一般的なルールを参考にしてください。

【問い合わせ先】
yukara「あっと」akashi.co.jp(送信の際は「あっと」を@に変えてください)

【担当者】
明石書店 辛島悠さん

障害学会・第11期編集委員会
委員長 矢吹康夫

◇ 『障害学研究』自由投稿論文・投稿規程
https://jsds-org.sakura.ne.jp/2017/10/30/paper/

◇ 『障害学研究』自由投稿論文・執筆要項
https://jsds-org.sakura.ne.jp/2017/10/30/guidelines/

ブックマン・マーク(1991年―2022年):真言密教と障害学

長瀬修

真言密教に取り組んでいると聞いて驚いた。ブックマン・マーク(Mark Bookman)と最初に会ったのは、2014年だった。米国人でフルブライトフェローとして、東洋大学で真言密教を研究していると話していた。本当は高野山大学に行きたかったが、車いす利用者にはバリアだらけで断念したとも語っていた。
実際、東京でも、バリアフリーなアパート探しに苦労しているということで、フルブライトフェローとして日本に滞在経験のある作家、ケニー・フリース(Kenny Fries)から紹介されたのだった。フリースは日本印象記である『マイノリティが見た神々の国・日本』を著している。
当時の会話で印象的だったのは、遠藤周作の『沈黙』をもっと若い時に読んで影響を受けたという話だった。それはマークがユダヤ教から離れるきっかけの一つだった。学生時代にユダヤ教に別れを告げたとき、父親(Paul Bookman)の嘆きはひとしおだったと言っていた。マークが最初に『沈黙』を読んだのは14歳の時で、その時は翻訳で読んだと父親は語っている。
マークは、私の出身校である上智大学にも留学経験があるということで、親近感を持った。バリアフリーな物件探しを手伝っていて、たどり着いたのが自立生活運動のリーダーである今村登だった。自立生活センターSTEPえどがわの今村は、DPI日本会議でも活躍している。その今村に相談したところ、自身も住む江戸川区瑞江のバリアフリーなアパートを紹介してくれた。手伝っていて改めて、バリアの多さを痛感した。山田太一作のドラマ『男たちの旅路 車輪の一歩』で岸本加世子と清水健太郎がバリアフリーな物件探しをするシーンを思い出した。

(2015年2月22日、江戸川区瑞江のアパートにてマーク。長瀬撮影)

真宗学と障害学』を出したばかりの頼尊恒信(真宗大谷派門称寺・CILだんない)を講師とする研究会を2015年に「社会的障害の経済理論・実証研究」(研究代表者:松井彰彦)として企画し、声をかけたところ、マークは熱心に参加していた。振り返れば、ちょうどまさに宗教学から障害学に関心が移行していた時期だったのだろう。
その後は、障害学に完全に転換するが、日本への関心は薄れることなく、2021年5月にペンシルベニア大学東アジア言語・文明研究科博士課程から”Politics and Prosthetics: 150 Years of Disability in Japan”(政治と義肢装具:日本の障害の150年)と題する博士論文で博士号を授与される。この博士論文を基にした著作はオックスフォード大学出版会から生前、すでに出版が決まっていた。2025年の刊行に向けて、共著論文のあるモナシュ大学のキャロリン・スティーブンス (Carolyn Stevens)やデラウェア大学のフランク・モンデリ(Frank Mondelli)が尽力している。
障害学に取り組み始めてからの歩みも、本当に素晴らしかった。査読付き論文や書籍(分担)を精力的に世に出していた。そして、博士号取得の前から、マークの存在感は急速に高まっていた。学会も開催者である障害学国際セミナー2021(オンライン特別セミナー「新型コロナウイルス感染症と東アジアの障害者」)には日本の報告者として指名され、「日本における支援連携問題の深刻化―新型コロナウイルスと環境・介助・施設の歴史」と題する報告を日本語で行っている。
2021年4月には東京大学東京カレッジにポストドクトラルフェローとして加わっていた。マークはその選択を喜んでいた。そして、これが最後のポストとなった。亡くなった時には、米国の障害学会(Society for Disability Studies)の理事を務めていたほか、障害学会では、2021年に発足した国際委員会で初代の委員を務めていた。私は個人的に勝手に、将来は学会理事、国際委員長、会長などを引き受けてくれたらと夢見ていた。そして障害学を超えて、ドナルド・キーンのような存在になってくれると漠然と感じていた。立岩真也も、立命館大学での自分の仕事の将来をマークに託していた。
マークは、仕事に真剣で、そしてとても親切だった。学会が「ウクライナへのロシア連邦による侵攻と障害者の保護と安全に関する」理事会声明を出した時の英訳も快く手伝ってくれた。2022年4月からは、私の所属する立命館大学生存学研究所の客員研究員(「ブックマン・マーク」という名前で登録していた)を務め、研究所が刊行する英文ジャーナルへの投稿論文の査読を頼んだ時には、24時間も経たないうちに、非常に綿密で良質な査読を行ってくれた。
最後に会ったのは、マークを主人公とするドキュメンタリーの撮影クルーが米国からやってきた時、2022年10月6日、彼の住むお台場の東京国際交流館だった。コロナの影響でだいぶ会えていなかったので、再会できてとても嬉しかった。その時に、クルーと共に来日していた父親のポールとも少しだけ言葉を交わす機会があった。
その晩に以下のメッセージが届いた。

Thank you SO much Nagase-sensei! I am so very appreciative of you coming all the way to Odaiba to interview for the documentary.

You’ve been (and are) such an inspiration to me and you have helped me so much over the years. I’m truly, truly grateful. And I know that my father is as well.

I hope to continue following your example and working to create a more accessible and inclusive society inside Japan and beyond.”
(長瀬先生、大変、ありがとうございます。ドキュメンタリーのインタビューのためにお台場までご足労いただき、感謝申し上げます。
先生はこれまでずっと私に多くのインスピレーションを下さっています。先生は長年にわたって、私をたくさん助けてくださいました。本当に、本当に感謝しています。そして、父も同じ気持ちです。
先生を、これからもお手本にして、いっそうアクセシブルでインクルーシブな社会を日本そして世界で実現するために活動を続けたいと思います。<長瀬訳>)
私は“You have been my inspiration!!!💛”( マークさんこそが私のインスピレーションであり続けています)と応えた。その気持ちは強まりこそすれ、今も変わらない。
訃報が届いたのは、亡くなった翌日の2022年12月17日だった。学会のオンライン理事会を終え、メールをチェックすると、オーストラリアのスティーブンスが、マークの急逝を伝えていた。そのメールを何度か読み直したが、マークの他界を私は理解できなかった。いや、受け入れられなかった。スティーブンスと話して確認せざるを得なかった。とても辛い会話だった。
その会話で、ポールが東京にまもなく到着することが分かった。私も、マークの遺体がある東大病院に向った。ポールと撮影時に会っていたことも背中を押してくれた。そこでポールと再会し、マークの義母のワサナ(イラク出身)と初めて会った。筋ジストロフィーに似た希少難病により、10歳で心臓移植を受けていたマークは、移植後の平均寿命が10数年程度であることを熟知していたらしいことも、その時に知った。マークの主な介助者だった畠山亮の手配で、東京都葛飾区四ツ木の斎場でマークは荼毘に付された。棺の中のマークは、白装束で徳の高い僧侶のようだった。
父親の同級生であり、ホロコーストをテーマとする作品でエミー賞を受賞しているロン・スモール(Ron Small)によってマークの生前から製作が進められていたドキュメンタリー”Mark: A Call to Action”(ブックマン・マーク:行動の軌跡)が完成したのは、2023年末だった。マークの急逝後に、追加のインタビューが行われていた。そして2024年2月末に、東京大学駒場IIキャンパス、上智大学四谷キャンパス、東京大学本郷キャンパスという所属や留学で関係のあった3か所で世界プレミアが開かれた。プレミア直前には、ジャパンタイムズが大きな記事を掲載している。米国では、2024年6月にマークの郷里であるペンシルベニア州ブリンマー(フィラデルフィア郊外)において、プレミアが行われる。

(東京プレミアのポスター。車いす姿のマーク。グライドファンド提供)

この作品を通じて、自分の知らないマークを知ると共に彼を取り巻く人々の姿をとても興味深く感じた。752グラムの超未熟児としての誕生、10歳の心臓移植、病床での他の病児との交流と死別、小学校時代の教師との生意気なやりとり、日本のアニメとの出会い、妹との関係、実母との死別、義母との交流、そして何より父親(もう一人の主役)との多面的な関係等々である。
本郷でのプレミアでは、今村が上映後に挨拶した。自分がバリアフリーなアパートを紹介した経緯について紹介し、マークが「精力的に行動されて、あっという間に日本中の障害者運動のリーダーたちに会いまくり、Facebookを見ると、私の友人の障害者関係の人とはほとんど繋がっていて驚いたものでした」と語っている。マークの驚異的なネットワークを示している。
マークがこのドキュメンタリーで伝えようとしているのは、自分が多くを成し遂げられた理由は、父親であるポールをはじめとする、可能性を信じる共同体(コミュニティ)のおかげであり、そうした共同体の支えがあれば、誰もがより多くを成し遂げられるという強い思いである。そして、マークは、そうした支えの提供を自ら実践していた。
そうした実践として、父と共に生前に発足させていたのが、グライドファンド(Global Leaders in International Disability Education Fund)である。その目的は、誰もが自立した生き方ができるインクルーシブな社会づくりを目的とする、障害学生の国際的な教育機会への金銭的支援である。それは自らが障害学生として経験した困難(例えば、バリアフリーな住居探し)を他の障害者が経験せずに済むようにしたいという思いに基づくものだろう。
このファンド以外でも、マークの遺産はすでに動き始めている。Anthropology of Japan in Japan(AJJ)はマーク・ブックマン賞を創設し、Esben Petersen(立命館大学・南山大学)らが2023年に第1回の受賞者となっている。2024年3月には、柳井イニシャティブ(日本文化研究の伝承と伝播を目的とする早稲田大学とカルフォルニア大学ロサンゼルス校との共同連携事業)の一環として、Japan Past and Present (JPP)という日本文化の研究や教育に関する国境を超えた情報ハブが立ち上がり、その中でDisability Studies in Japan (日本の障害学)に関するプロジェクトがマークに捧げられている。

(2024年2月28日、高野山大学にて。右がワサナ、左がポール。二人はマークの遺灰を手にしている。長瀬撮影)

東京のプレミア終了後、ご両親と真言密教の聖地であり、その開祖、空海が眠る高野山を訪問し、マークが一度は留学を目指した高野山大学にも一緒に足を運んだ。そこで、駒場でのプレミアで、マークが取り組んでいたのは「私たち人間がこの宇宙で生きていることの意味や謎に関する真理」ではなかったかと福島智が語っていたことに思いを馳せた。そして空海について本当に遅まきながら読み始めると、元高野山大学学長である松永有慶の「現実の有限世界の万物が、そのまま真理の無限の世界とつながるという世界観を展開した空海」(「空海」、岩波書店)という言葉に出会った。マークはまさにこうした真言密教の世界観と共鳴していたのかもしれない。真言密教の世界観と障害学の接点の有無についてマークから聞けなかったのは、数えきれない心残りの一つである。

(敬称略)

 

 

『障害学研究』21号 エッセイ募集

学会誌『障害学研究』第21号(2024年9月刊行予定)のエッセイを、下記の要領で募集いたしますので、ふるってご投稿ください。

■ 分量:1200文字以上 10000文字以内(詳しくは末尾の審査規定・投稿規定を参照)
■ 締切:2024年3月15日
■ 送付先:yukara「あっと」akashi.co.jp
(送信の際は「あっと」を@に変えてください)
【担当者】明石書店 辛島悠さん

【備考】
1.送付にあたっては、

1)原稿は添付ファイルとし、
2)メール本文には投稿者の氏名と所属、エッセイタイトルを記し、
3)メールの件名を、「障害学研究第21号 投稿論文」としてください。
受領しましたら、こちらから確認のメールをお送りいたします。万が一、送信後3日を経ても確認メールが届かない場合は、事故の可能性がありますので、恐れ入りますが、その旨を記した上、再度原稿をお送りください。

2.掲載にあたって、会員名簿にご登録のお名前とは別のお名前(ペンネーム等)をご使用になる場合は、そのペンネーム等に加えて、学会名簿にある名前を原稿に併記して、ご投稿ください(投稿資格の有無を確認する際に必要になります)。加えて、どちらの名前での掲載を希望するかも明記してください。

障害学会・第11期編集委員会
委員長 矢吹康夫

『障害学会』エッセイ審査規定・投稿規定


21号エッセイ選者・プロフィール・求めるエッセイを掲載します。

◆ 伊是名夏子(いぜな・なつこ)さん/コラムニスト。著書に『ママは身長100cm』(ハフポストブックス)。
◇ あなたが悩んできたこと、驚いたこと、悔しかったこと、傷ついたことのモヤモヤをまずは言葉に、文にしてみてください。読み手がいるので伝え方も大切ですが、それ以上に自分の中にある思いをまずは言葉にしてみてください。あなたにしか伝えられないことはあるはずです。飾らない、まっすぐな思いが、意外にも多くの人の気づき、共感になります。そして悩みながらも書くことは、自分を取り戻し、力を得ることでもあります。時間はかかり、苦しいこともあると思いますが、あきらめずに書いて下さい。

◆ 齋藤陽道(さいとう・はるみち)さん/写真家、文筆業。著書に『異なり記念日』医学書院、『声めぐり』晶文社、『育児まんが日記 せかいはことば』ナナロク社など。
◇ 私ではない誰かが書いた物語や番組に浸かっていると、無意識に、そうした言葉をあてがってしまい、自分自身の本当の感情を見失ってしまうことがあります。注意深く、そうした言葉を注意深くはぶいて、私の感動、私の悲しみ、私のこの感情を、大事にした、正直な、切実なことばを、書いてみてください。それはきっと、みんなにとっての宝です。

◆ 市川沙央(いちかわ・さおう)さん/作家。『ハンチバック』(文藝春秋)で第169回芥川賞受賞。筋疾患先天性ミオパチーによる医療的ケア当事者。
◇ こんなこと書いちゃっていいんだろうか? 皆にとってはくだらないことだろうか? そう思いながらも自分がいちばん書きたいことを私はいつも書いています。意外とそれが褒められます。あなたがいちばん書きたいことをぜひ書いてください。身体から溢れだす率直な言葉をつかまえた、身も蓋もない本音の文章を、お待ちしています。

◆ 御代田太一(みよだ・たいち)さん/元救護施設生活支援員。著書に『よるべない100人のそばに居る。<救護施設ひのたに園とぼく>』河出書房新社、福祉に関するリトルプレス『潜福』。
◇ 言葉のトンネルを掘り進める作業は、往々にして地道で孤独なものです。でも深く掘れば掘るほどそのトンネルは、同じ誰かとつながり、新しい自分と出会い直すための通路にもなるはずです。「こんなことを考えているのは世界で自分だけなんじゃないか」と思えるようなことも、一人称にこだわって、紡いでみてもらえたら嬉しいです。皆様の文章を、心から楽しみにしております。