注目

障害学会第22回大会

日 程:2025年9月20日(土)・21日(日)
会 場:女子栄養大学坂戸キャンパス(埼玉県坂戸市千代田3-9-21)
大会長:深田耕一郎
形 態:自由報告とシンポジウムは対面形式+オンライン配信
ポスター報告、総会は対面形式
共 催:女子栄養大学 福祉社会学研究室

詳細は、以下の障害学会第22回大会ホームページをご覧ください。(情報は随時更新されます)https://jsds-org.sakura.ne.jp/jsds22th/

パレスチナの障害者の状況に関する声明  

 2025年10月1日

障害学会理事会

 

 2023年10月7日に、パレスチナ自治区ガザを実効支配する武装組織ハマスによるイスラエル攻撃を端緒として、イスラエル軍のガザ侵攻が続き、とりわけ障害者に深刻な影響が生じています。しかし、問題の根底には、長年にわたる占領に起因する構造的暴力があり、これはパレスチナ人、とりわけ障害者の生活に継続的・系統的な被害をもたらしてきました。現在のガザ侵攻はこの状況をさらに悪化させ、危機的段階に至らせています。
 障害者権利条約は前文(u)において、「国際連合憲章に定める目的及び原則の十分な尊重並びに人権に関する適用可能な文書の遵守に基づく平和で安全な状況が、特に武力紛争及び外国による占領の期間中における障害者の十分な保護に不可欠であることに留意し」とするとともに、 危険な状況及び人道上の緊急事態に関する第11条において、「締約国は、国際法(国際人道法及び国際人権法を含む。)に基づく自国の義務に従い、危険な状況(武力紛争、人道上の緊急事態及び自然災害の発生を含む。)において障害者の保護及び安全を確保するための全ての必要な措置をとる」と規定しています。
 同条約の国際的モニタリング機関である障害者権利委員会は、その報告において、現在の戦闘下における障害者の尊厳、個人をそのままの状態で保護すること、生存に対する深刻な危険と危害に関する情報に懸念を示しました。また、占領下パレスチナ地域における人道危機への締約国の取り組みにおいて、障害者の状況が依然として軽視されていることにも懸念を示しました。
 具体的には、①暴力と死亡のリスク増大(A.障害者の死亡、飢餓、急性栄養失調、水へのアクセス剥奪、それに続く脱水症状および疾病、B.学校、病院を含む、障害者が居住または国内避難している民間地域、住宅、避難所に対する無差別攻撃を含む、C.車いす・補装具などの入手困難、D. 入植者やイスラエル治安部隊による直接的暴力を含む)、②視覚障害者と聴覚障害者を含む、障害者に対する早期警報及び避難措置の不備(障害児者を支える介護者や家族の安全確保の欠如を含む)、③人道支援の著しい制限と封鎖による不均衡な影響と権利剥奪(障害者への差別行為を含む)、④国内避難民に対する悪化した交差的影響(強制避難によるアクセシビリティ欠如とリスク増大や、障害者向けシェルターやインフラの破壊を含む)、⑤障害女性・少女への暴力や衛生・医療アクセス上の深刻な障壁、⑥障害児の安全・教育・心理的支援の欠如(過酷な環境下での四肢切断やトラウマを含む)、⑦健康面をはじめとする高齢障害者のリスク(援助物資の限定的な配布に起因する高齢者の予防可能な死亡の増加を含む)、⑧難民・国外搬送を要する障害者への支援課題、⑨障害者組織及びその他の市民社会組織への悪影響、⑩データと統計の不足、⑪人権及び国際人道法違反に対する説明責任の欠如、について取り上げています。
 この報告が示しているガザ及びヨルダン川西岸地区(東エルサレムを含む)のパレスチナの障害者の深刻な状況に鑑み、すべての紛争当事者と日本政府を含む国際社会に以下を強く要請します。

●戦闘を即時停止すること。
●人質を即時解放すること。
●民間人に対する攻撃・暴力・敵対行為を停止すること。
●障害者権利条約前文(u)及び第11条「危険な状況及び人道上の緊急事態」に基づき、障害者の保護及び安全を確保するための全ての必要な措置をとること(援助物資の障害者への滞りない提供を含む)。

 

 障害学会第12期理事会

第12期理事会 (任期:2025年9月から2年間)

会  長 熊谷晋一郎(東京大学)
事務局長 伊東香純(立命館大学)

川島聡(放送大学)
長瀬修(立命館大学)
土屋葉(愛知大学)
西倉実季(東京理科大学)
堀田義太郎(東京理科大学)
矢吹康夫(中京大学)
松波めぐみ(大阪公立大学)
鈴木良(同志社大学)
石島健太郎(東京都立大学)
ミトー・アンヌ=リーズ(パリ・シテ大学)
高森明(中央大学大学院)
油田優衣(日本自立生活センター/京都大学大学院)
廣野俊輔(同志社大学)

アフリカ研究で感じる後ろめたさ

伊東香純

私は、調査のフィールドを西洋からアフリカに変更した。そのときから、非西洋地域をフィールドとしている他の研究者に対して、どうにも拭い去れない後ろめたさを感じ、一方でそんなことは不要ではないかと感じながら、他方で弁明を止めることが今に至るまでできないでいる。
同業者に対して感じ始めた後ろめたさについて書く前に、精神障害者に対して、また、アフリカの人たちに対して、抱いている後ろめたさにも触れておきたい。私の研究対象は、精神障害者のグローバルな社会運動で、研究の目的は、多様な状況におかれ、時に対立する主張をもつ人々がどのように世界組織として連帯してきたのかを明らかにすることである。そのための方法として、「世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク」やその関連組織に関わった人たちにインタビュー調査を実施してきた。この大きな研究の枠組みは変わらず、博士課程のときには、西洋――特にニュージーランド、西欧、北欧――を中心としてきた調査のフィールドを、2021年度からアフリカに変更した。

私は、精神障害者を抑圧する「健常者」の立場から調査協力を依頼してきた。西洋での調査で、「精神医療のユーザー・サバイバー」かどうかを頻繁に尋ねられ、相手の反応に緊張しながらNoと答えてきた瞬間を今も忘れることができない。私は、日本の精神科病院の状況に疑問を抱いてこの調査を開始した(伊東 2021: 344-345)にもかかわらず、精神障害者に協力を依頼して迷惑をかけ、精神障害者の組織で起きたことを聞き出そうとしているのだ。

調査地をアフリカに変更してからは、低開発地域の人を抑圧する先進開発地域の人という、もともと持っていた属性を、強く意識するようになった。これまで訪れたアフリカで、私はお金持ちの「白人」として扱われ、街を歩けば高額なお土産を買うようしつこく勧められるし、日本車を安く輸入するルートを相談されたりする。私の調査地域の中には日本と同じかそれ以上の物価の場所もあり、自分より貧しい人ばかりではないのだが、今日の食事に実際に困っている様子を目の当たりにすると、ホテルで提供される食べきれないほどの朝食に飽きている自分が恥ずかしくなる。他方で、アフリカの調査においては、精神医療のユーザー・サバイバーかどうかを尋ねられる場面は各段に減少したように思う。

このような健常者としての、また、先進開発地域の出身者としての後ろめたさは、当初から予想していたし、変えられないから仕方ないと割り切ってしまってよいものではないと考えている。しかし、アフリカをフィールドにしている他の研究者に対する後ろめたさは、当初はまったく予想していなかったものであった。アフリカをフィールドとするようになってから、意識的にアフリカをフィールドとした先行研究や調査の教科書を読んだり、実際に現地に行った人に話を聞いたりしている。すると、年単位で現地に住んだ経験や、現地語の技能、現地の人と深く関わっての成功や失敗の体験に出会って圧倒されてしまうのである。

私の調査は、特定の地域や民族を対象としたものではない。グローバルな社会運動を対象として、そこに関わってきた人に主に英語でインタビューをおこない文書資料を収集して、運動の歴史を記述するというものである。これまでの調査では、同じ国に留まる期間は長くて3週間弱、短いと2、3日である。しかも、同じ国にいる間にいくつかの地域を訪問する場合も少なくない。そして、宿泊するところはたいてい電気も水道も通ったホテルであり、現地の人はあまり使わないタクシーを交通手段とし、調査対象者にホテルに出向いてもらうことさえある。この研究方法は、研究の目的に適っていると今のところ考えている。それにもかかわらず、自分の調査地域を説明する際に、「この地域の専門家ではないんですが」とか「数日行った程度ですが」とか、相手から何も尋ねられていないのに前置きしてしまう。

ただし、この後ろめたさは、単に、低開発地域での調査は、民族誌的方法が適していて、長期間滞在して現地の暮らしに慣れるのが一般的なのだという思い込みによるものではないように思う。これまでの調査でわかってきたのは、アフリカにおけるトランスナショナルな社会運動を記述する難しさである。アフリカでは、EU圏内のように国境を越えることはできないし、社会運動に必要な資金を国内の政府や慈善団体等から調達することが難しい。このため、トランスナショナルな活動は間違いなくおこなわれているのだが、それをアフリカの社会運動の歴史として一つにまとめることは、難しく、加えて望ましくないかもしれないとも思い始めている。だからといって、各地域について別々に民族誌的調査をおこなうことが、研究目的に照らして適切であるようにも思われない。この後ろめたさは、障害学に限らず、西洋を主な研究対象として議論を進めてきた研究分野のグローバル化で必然的に生じる問題と関わっているのかもしれない。未だ答えは出ていないが、このような後ろめたさを感じる研究者は私だけではないようである。

[文献]
伊東香純,2021,『精神障害者のグローバルな草の根運動――連帯の中の多様性』生活書院.

『障害学研究』第23号 自由投稿論文の募集

学会誌『障害学研究』第23号(2026年9月刊行予定)の自由投稿論文を、下記の要領で募集いたしますので、ふるってご投稿ください。

・本文末の「投稿規程」と「執筆要項」を熟読の上、ご投稿ください。また、投稿にあたっては「倫理綱領」もご参照ください。
・図表を添付する際の形式や執筆フォームなど、よくご確認の上、ご投稿ください。

■分量:20,000字以内(詳しくは末尾の「執筆要項」を参照)
■締切:2025年9月30日(火)23:59
■送付先:yukara「あっと」akashi.co.jp
(送信の際は「あっと」を@に変えてください)

【担当者】 明石書店 辛島悠さん

【備考】
1.送付にあたっては、
1)原稿は添付ファイルとし、
2)メール本文には投稿者の氏名と所属、論文タイトルを記し、
3)メールの件名を、「障害学研究第23号 投稿論文」としてください。
受領しましたら、こちらから確認のメールをお送りいたします。万が一、送信後3日を経ても確認メールが届かない場合は、事故の可能性がありますので、恐れ入りますが、その旨を記した上、再度原稿をお送りください。

2.掲載にあたって、会員名簿にご登録のお名前とは別のお名前(ペンネーム等)をご使用になる場合は、そのペンネーム等に加えて、学会名簿にある名前を原稿に併記して、ご投稿ください(投稿資格の有無を確認する際に必要になります)。加えて、どちらの名前での掲載を希望するかも明記してください。

3.投稿後、査読(最大2回)をおこなって、掲載の可否を決定します。

4.論文投稿に不慣れな方は、研究論文執筆に関する一般的な留意点について、研究経験の豊富な人のアドバイスを受けたり、学術論文に関する一般的なルールを参考にしてください。

【問い合わせ先】
yukara「あっと」akashi.co.jp(送信の際は「あっと」を@に変えてください)

【担当者】
明石書店 辛島悠さん

障害学会・第11期編集委員会
委員長 矢吹康夫

◇ 『障害学研究』自由投稿論文・投稿規程
https://jsds-org.sakura.ne.jp/2017/10/30/paper/

◇ 『障害学研究』自由投稿論文・執筆要項
https://jsds-org.sakura.ne.jp/2017/10/30/guidelines/

◇ 障害学会 倫理綱領
https://jsds-org.sakura.ne.jp/category/ethics/

学術会議法案に関する障害学会の理事会声明

障害学会理事会
2025年4月26日

2025年3月7日、日本学術会議法案が閣議決定され、第217回通常国会に提出されました。この動きを受け、同年4月15日から16日にかけて開催された第194回日本学術会議総会において、声明「次世代につなぐ日本学術会議の継続と発展に向けて~政府による日本学術会議法案の国会提出にあたって~」および決議「日本学術会議法案の修正について」がそれぞれ採択されました。
障害学会理事会は、これらの声明と決議を強く支持します。本法案は、ナショナル・アカデミーとして求められる五つの基本要件を満たしておらず、日本学術会議が本来有する自主性と独立性を損ない、ひいてはわが国の学術の自由な発展に支障を来すおそれがあるためです。つきましては、国会において慎重な審議のうえで、本法案に必要な修正がなされることを強く求めます。

研究会「心と法律:慈悲から人権へ」

日時 2025年3月14日金曜日午後2時―3時45分
講師 アンヌ=リーズ・ミトー
会場 東京大学本郷キャンパス教育学部棟1階109教室
https://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_09_01_j.html
主催 障害学会
東京大学バリアフリー教育開発研究センター
情報保障 手話通訳・文字通訳
開催形式 対面50名(事前申し込み必要)

講演動画 https://youtu.be/F08blkBzT9A ※公開25.4.25まで

講演テキスト PDF ※公開25.4.25まで

講演スライド  PDF  ※公開25.4.25まで

趣旨
障害学会の国際委員であり昨年、日本の障害をテーマとして”Le coeur et le droit: Le handicap dans la société japonaise”(『心と法律(慈悲から人権へ)』)をフランス語で刊行(英語は2026年予定)されたAnne-Lise Mithout(アンヌ=リーズ・ミトー)さんを講師として、同書の内容を踏まえた研究会の開催を行います。同書の内容は下記*。

プログラム
2:00 開会挨拶 長瀬修(障害学会理事・国際委員長)
2:05 報告 「心と法律:慈悲から人権へ」アンヌ=リーズ・ミトー(パリ・シテ大学准教授)
3:05 質疑応答 司会:伊東香純(障害学会理事)
3:40 閉会挨拶 飯野由里子(東京大学バリアフリー教育開発研究センター特任教授)
総合司会:田中恵美子(障害学会理事)

参加フォーム
https://docs.google.com/forms/d/1IXnEIRb0K3dwFuqpctj3FEmLHLChk9qwPoWjLXKcPDg

アクセシビリティに問題のある場合や、ご質問のある場合には、以下の3名に同報でご連絡ください。
障害学会国際委員会(理事)
長瀬:Nagase@an.email.ne.jp
田中:etanaka@tokyo-kasei.ac.jp
伊東:itokasumi24@gmail.com

*目次
第1章 1945年以前の障害者の歴史
1. 中世以前の障害者の位置~宗教的信念と慈善措置
2. 盲人の共同体と当道座の出現
3. 江戸時代における国家統制の強化
4. 近代化と障害者
第2章 障害者福祉の歴史~リハビリテーションからインクルージョンへ
1. 福祉国家建設時代におけるリハビリテーションと施設化の発展
2. 社会参加概念の出現へ
3. 新自由主義の時代におけるケアと福祉政策
第3章 「我々は愛と正義を拒否する」~ 障害者運動 の発展
1. 障害者運動の初期~カテゴリーに基づく動員
2. 青い芝の会~優生思想に反対する運動
3. 青い芝の会の遺産~交差点的視点から人権を守る
第4章 教育制度における障害児の位置~支援と排除
1. 1945年以前の特殊教育~社会事業から国家総動員へ
2. 戦後から2000年代まで~特殊教育から統合教育へ
3. 21世紀の「特別支援教育」
第5章 個人の雇用可能性から職場の働きやすさへ
1. 二重の雇用システム
2. 就労支援事業所で働く
3. 一般企業で働く

障害学会 倫理綱領

〔前文〕
障害学会(以下、学会という。)は、学会会員(以下、会員という。)が研究、教育、学会運営その他の学会活動にあたって依拠すべき基本方針を定め、「障害学会倫理綱領」(以下、綱領という。)として発表する。
学会は、障害を社会及び文化の視点から研究する障害学(Disability Studies)の発展及び普及並びに会員相互の研究上の連携及び協力を図ることを目的として2003年に設立された。以来、学会は、学術研究を遂行するのみならず、新しい価値を創出する創造性及び社会変革に向けた実践性を有するなど、独自の特性を発揮してきた。そのため、障害学に携わる会員には、価値創造及び社会変革を担って社会及び文化に寄与する者として、倫理的で公正な態度が求められている。
また、障害学は人間及び社会集団を対象とするため、障害学に携わる会員は研究、教育、学会運営その他の学会活動における対象者(以下、対象者という。)の人権を尊重しなければならず、対象者のプライバシーの保護、対象者の被りうる不利益への配慮等に留意する必要がある。同時に会員は、研究者としての社会的責任を自覚し、研究の目的、手法、必要性、社会的影響等にも留意する必要がある。
学会は、障害学の研究及び教育の発展及び質的向上、会員相互の交流の活性化、社会からの信頼の維持及び確保等のために、会員が研究、教育、学会運営その他の学会活動において遵守すべき倫理に関する事項を綱領として以下のとおり定めることとする。

第1条〔公正及び信頼の確保〕
会員は、公正を維持し、社会の信頼を損なわないよう努める。

第2条〔研究目的及び研究手法の倫理的妥当性〕
会員は、自己の研究の社会的影響に留意して、研究目的及び研究手法の倫理的妥当性を考慮しなければならない。

第3条〔人権の尊重〕
会員は、人権を尊重しなければならない。

第4条〔プライバシーの保護〕
会員は、対象者のプライバシーを侵してはならないものとし、会員相互のプライバシーの保護に最大限留意しなければならない。

第5条〔差別の禁止〕
会員は、障害の有無、思想信条、性別、性的指向、性自認、性表現、年齢、出自、国籍、宗教、民族的背景、健康状態、家族状況、婚姻関係等によるいかなる差別(合理的配慮の不提供を含む。)もしてはならない。

第6条〔ハラスメントの禁止〕
会員は、ハラスメント(セクシュアル・ハラスメント、パワー・ハラスメント、アカデミック・ハラスメント、モラル・ハラスメントを含む。)をしてはならない。

第7条〔研究資金の適正な取扱い〕
会員は、研究資金を適正に取り扱わなければならない。

第8条〔著作権侵害及び不正行為の禁止〕
会員は、研究のオリジナリティを尊重し、著作権を侵害してはならず、捏造、改ざん、盗用、二重投稿等をしてはならない。
2 会員は、他の者の協力を得て行った研究をもとに成果を公表する場合は、当該他の者の権利を十分に尊重しなければならない。

第9条〔研究成果の公表〕
会員は、研究の公益性及び社会的責任を自覚するものとし、研究成果の公表に努め、社会的還元に留意する。

第10条〔相互批判及び相互検証の場の確保〕
会員は、開かれた態度を保持し、相互批判及び相互検証の場の確保に努める。

附則
1.綱領に関する問い合わせ並びに障害学の研究及び教育に関する倫理的問題への相談等は、学会理事会が対応する。
2.綱領の改正は、学会理事会の議を経ることを要する。
3.綱領は、2024年9月16日から施行する。

『障害学研究』22号 エッセイ募集

学会誌『障害学研究』第22号(2025年9月刊行予定)のエッセイを、下記の要領で募集いたしますので、ふるってご投稿ください。

■ 分量:1200文字以上 10000文字以内(詳しくは末尾の審査規定を参照)
■ 締切:2025年3月15日
■ 送付先:yukara「あっと」akashi.co.jp
(送信の際は「あっと」を@に変えてください)

【担当者】 明石書店 辛島悠さん

【備考】
1.送付にあたっては、

1)原稿は添付ファイルとし、
2)メール本文には投稿者の氏名と所属、エッセイタイトルを記し、
3)メールの件名を、「障害学研究第22号エッセイ」としてください。
受領しましたら、こちらから確認のメールをお送りいたします。万が一、送信後3日を経ても確認メールが届かない場合は、事故の可能性がありますので、恐れ入りますが、その旨を記した上、再度原稿をお送りください。

2.掲載にあたって、会員名簿にご登録のお名前とは別のお名前(ペンネーム等)をご使用になる場合は、そのペンネーム等に加えて、学会名簿にある名前を原稿に併記して、ご投稿ください(投稿資格の有無を確認する際に必要になります)。加えて、どちらの名前での掲載を希望するかも明記してください。

障害学会・第11期編集委員会
委員長 矢吹康夫

『障害学研究』エッセイ審査規定・投稿規定
https://jsds-org.sakura.ne.jp/2017/10/30/essay/

22号 エッセイ選者・プロフィール・求めるエッセイを掲載します。

◆ 伊是名夏子(いぜな・なつこ)さん/コラムニスト。著書に『ママは身長100cm』(ハフポストブックス)。
◇ あなたが悩んできたこと、驚いたこと、悔しかったこと、傷ついたことのモヤモヤをまずは言葉に、文にしてみてください。読み手がいるので伝え方も大切ですが、それ以上に自分の中にある思いをまずは言葉にしてみてください。あなたにしか伝えられないことはあるはずです。飾らない、まっすぐな思いが、意外にも多くの人の気づき、共感になります。そして悩みながらも書くことは、自分を取り戻し、力を得ることでもあります。時間はかかり、苦しいこともあると思いますが、あきらめずに書いて下さい。

◆ 齋藤陽道(さいとう・はるみち)さん/写真家、文筆業。著書に『異なり記念日』医学書院、『声めぐり』晶文社、『育児まんが日記 せかいはことば』ナナロク社など。
◇ 私ではない誰かが書いた物語や番組に浸かっていると、無意識に、そうした言葉をあてがってしまい、自分自身の本当の感情を見失ってしまうことがあります。注意深く、そうした言葉を注意深くはぶいて、私の感動、私の悲しみ、私のこの感情を、大事にした、正直な、切実なことばを、書いてみてください。それはきっと、みんなにとっての宝です。

◆ 市川沙央(いちかわ・さおう)さん/作家。『ハンチバック』(文藝春秋)で第169回芥川賞受賞。筋疾患先天性ミオパチーによる医療的ケア当事者。
◇ こんなこと書いちゃっていいんだろうか? 皆にとってはくだらないことだろうか? そう思いながらも自分がいちばん書きたいことを私はいつも書いています。意外とそれが褒められます。あなたがいちばん書きたいことをぜひ書いてください。身体から溢れだす率直な言葉をつかまえた、身も蓋もない本音の文章を、お待ちしています。

◆ 御代田太一(みよだ・たいち)さん/元救護施設生活支援員。著書に『よるべない100人のそばに居る。<救護施設ひのたに園とぼく>』河出書房新社、福祉に関するリトルプレス『潜福』。
◇ 言葉のトンネルを掘り進める作業は、往々にして地道で孤独なものです。でも深く掘れば掘るほどそのトンネルは、同じ誰かとつながり、新しい自分と出会い直すための通路にもなるはずです。「こんなことを考えているのは世界で自分だけなんじゃないか」と思えるようなことも、一人称にこだわって、紡いでみてもらえたら嬉しいです。皆様の文章を、心から楽しみにしております。

樋口恵子さんと日本の障害福祉の国際化

田中恵美子

1. はじめに
2023年9月15日、樋口恵子さんが亡くなった。あの日からもう一年が経とうとしている。
私は9月13日に恵子さんにメールを送り、9月16日に電話で話そうと約束していた。その日は第20回障害学会(2023年9月16日、17日開催 於:東京大学)があって、私が書いた樋口恵子さんと近藤秀夫さんの本(田中2023)が先行販売されることになっていたからだ。「会場から電話する」と書いた私のメールに返信して、恵子さんは「本の発売にワクワクしている、その一方で、近藤さんが少し疲れ気味で電話に出るのを億劫がっている」と伝えてきた。本が手元に届いたら近藤さんもきっと喜んで電話に出てくれるだろう。そう思っていた。
それなのに。
私は、二度と恵子さんと話すことはできなかった。障害学会の会場からの電話には、お姉さんがでて、「恵子は昨日亡くなりました」とおっしゃった。それを聞いたときの気持ちは、でも忘れられない。人生にこんなことがあるのかと思った。
恵子さんの死因は、椅子から落ち、頭を打ってしまったことだったが、そのだいぶ前から肺が弱っていた。2018年に私がインタビューしたときの恵子さんの年齢は67歳だったが、肺が95歳だといわれたといっていた。2023年の5月には入院が長引き、「私の肺は限界のようです。病院のベッドの上では終わりたくない。誇りあるQOLを、自宅であなたのまとめてくれた本をだきしめて終わりたいと思います。ホントにありがとう」というメールが来て、びっくりし、四国に住む友人に連絡して会いに行ってもらったりした。そのころから“その日”を予感させ、ご自身も準備をしてきていた。しかし、、、それでもやっぱり急だった。
樋口恵子さんは、1980年代の日本の障害者自立生活運動における中心人物の一人であり、国際的にも活躍した一人である。今回は恵子さんの死を悼み、恵子さんの国際的な活躍とその影響について考察してみたいと思う。

2. 国際障害者年のころ―日本の障害福祉の国際化
恵子さんが海外との接点を持ち始めたのは、国際障害者年を契機としていた。恵子さんだけではない。多くの障害者運動のリーダーたちが、いや、日本の障害者施策そのものが海外との距離を縮めたのは国際障害者年のころだった。
1979年にはアメリカから自立生活運動の父と呼ばれるエド・ロバーツが来日し、講演を行った。そのころから徐々に国際化の波が押し寄せてきていた。1980年になると、近藤さんは車いすに乗った公務員として国際障害者年の国のイベントにも駆り出された。
恵子さんは、近藤さんの職場であった町田で非常勤職員として市の障害福祉事業に関わりながら、1981年にアメリカへのツアー旅行を企画し、日本からバークレーの街に障害者を連れていくという役割も果たした。その原動力は、先に挙げたエド・ロバーツの講演で受けた衝撃にあった。
「障害はパワーだ、エネルギーだ」 というエド・ロバーツの言葉に恵子さんは疑問しか浮かばなかったという。恵子さんにとって障害は仕方なく共に生きるしかないものだったからだ。
障害をどうして「パワー」や「エネルギー」などといえるのか?そんなふうに思える場所アメリカに、エドが働くCIL(Center for Independent Living 自立生活センター)に行ってみたい!!!
恵子さんのハートがググっと動いた瞬間だった。
1981年、ミスタードーナッツが日本で発売されて10年の記念すべき年に、国際障害者年と絡めたイベントが企画され、日本の障害者をアメリカに送る研修が始まった。これが今日まで続く『愛の輪基金』である。新聞に広告が載り、恵子さんもいつかこの研修に参加すると目標を立て、英会話の勉強を始め、コツコツと準備した。そして1984年、晴れて第4期生としてアメリカ・バークレーに旅立ったのであった。研修は半年間だったが、その後一度日本に帰国した後すぐにワシントンD.C.へと飛び、ジャスティン・ダートの下でインターンとして3か月働いた。

3. “障害”は社会にある
恵子さんはアメリカでデートに誘われたり、付き合ってほしいといわれたり、一人の“女性”として扱われた。この経験が自分を肯定する出来事だったと自著(樋口 1998)に記している。またアムトラックでの旅行を計画して受付の女性に障害者割引があるか尋ねたとき、「あなたは障害者ではないから」といわれ、驚いたこともあった。日本では、先ず障害者であって、人間として、ましてや性のある存在としてみられたこともなかった。それがアメリカという土地では同じ自分が人として、女性として認められる。こうした経験を通して、恵子さんは障害は社会にあることを実感していく。そして同じ経験をたくさんの人にしてほしいと、日本に戻ると、障害者旅行の企画をしては障害者を海外に連れて行った。
その中の一人に、千葉れい子さんがいる。彼女はのちに介助犬を日本に初めて紹介する人となるのだが、彼女が恵子さんと一緒に初めてアメリカのツアー旅行に行った時のことだ。彼女は日本でも電動車いすを利用していたが、この旅行ではアメリカで電動車いすを借りた。アメリカの電動車いすは日本の電動車いすに比べてスピードが速かった。乗りなれてくるとスイスイとツアーの旅行客の前に出てこられるようになった。いつもなら人の後ろについて歩き、時々は待ってもらわなくてはならないのに、この旅ではランチのレストランを探す際に、「私が見てくるわ~」と確認して戻ってきたりできる。旅の中でどんどん生き生きとしてくるれい子さんを見て、恵子さんは「道具一つでこんなに人が変わるのか」と実感した。れい子さんもまたこの旅で自分に自信をつけ、やがて自らのやりたいと思っていたことに、もちろん紆余曲折はあったが、進んでいったのだった。
恵子さんは海外旅行の意義をこんなふうに述べている。
「現状では、私達の社会は障害者にとってはなはだ住みにくい社会で、それはあたかも障害がすべての原因であるかのように言われているのだが、果たしてそうなのか。一定のアクセスが整った地域に、短期間でも身を置くことで見えてくるものがある。社会の側がつくった障壁(階段や利用できない公共交通機関など)とそれらが解決されて残るものが何なのかといったことを具体的に理解することができるのである」(樋口 1992)。

4. おわりに
恵子さんはその後、1989年にDPI女性障害者ネットワークを立ち上げ、優生保護法の改正に向けて運動を展開していく。1995年には中国・北京で行われた世界女性会議に出席し、女性運動と協同して分科会「優生保護法って何?」を開催し、そこで恵子さんは

「私は今、障害者として生きてこれてよかったと思います。障害を持って生きてきたことが、私をここまでひっぱり、育ててきたと思います。私にとって障害は私を構成する大切な個性です」

と「『私大好き』宣言」をするに至った。あの時のエド・ロバーツみたいに。
海外で過ごし、一人の人間として、一人の女性として受け止められた経験を通して、恵子さんの中で障害の意味が変わっていった。恵子さんは“障害”を、“社会にある障壁”“生きづらさ”としてとらえ、それを経験する者として健常の女性たちとも連帯し、社会を変えていこうとした。同時に広く世界の“障害”者運動ともつながっていった。もちろん国によって障害は異なる。だが差別や偏見を受けるという共通の経験をした者同士であるというシンパシーによってより強固につながることができたのではないだろうか。
国際障害者年という時代の波に乗ったことも確かである。しかしそれだけではない。現在の国際的な障害者運動の連帯への道が築かれた時代に恵子さんがいたことに大きな意味があったと思う。

文献
樋口恵子1998『エンジョイ自立生活-障害を最高の恵みとして』現代書館
樋口恵子1992「5 自立生活センターにおけるピア・カウンセリングの意義」『自立生活への鍵ーピア・カウンセリングの研究ー』ヒューマンケア協会:35-44
田中恵美子 2023 『障がいを恵みとして、社会を創る―近藤秀夫と樋口恵子』現代書館