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障害学会第13回大会(2016年度)報告要旨


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倉田 誠(くらた まこと) 東京医科大学

■報告題目

イギリス領南太平洋におけるハンセン病対策の展開:マコンガイ島収容施設を中心として

■報告キーワード

ハンセン病、植民地、イギリス領南太平洋

■報告要旨

 植民地におけるハンセン病対策は、植民地化された諸社会に施設収容にもとづく住民管理のあり方をもたらした[Moran 2007]。ハンセン病対策は、奇しくも19世紀末から20世紀初頭の植民地主義の隆盛とともに世界的な公衆衛生的課題として持ち上がり、20世紀後半の脱植民地化の流れのなかでDDS治療の普及とともに公衆衛生的な関心から外れていった。その過程で、「健康・健常」は「民族・人種」と並び立つような差異の基準として、社会の管理・統治・設計のなかに取り入れられていった。
 本発表では、イギリス領南太平洋(British South Pacific)唯一のハンセン病隔離施設であったフィジー植民地(The Colony of Fiji)のマコンガイ島(Makogai Island)を取り上げ、南太平洋各地から収容されることになった入所者たちに対する管理やそこでの生活状況について史料調査の結果をもとに報告する。
 イギリス領フィジーでは、1899年に「ハンセン病法(The Leper Ordinance Act)」が制定されて以来、領内のハンセン病患者の監督と管理が始められるようになり、1910年には太平洋の孤島であるマコンガイ島に大規模な収容施設が建設された。そして、第一次世界大戦による植民地再編を受けて、イギリス領南太平洋全体でハンセン病者の管理が行われることになり、フィジー以外の言語も文化も異なる他地域からもハンセン病者が収容されることになった。1930年代から1950年代にかけては、ヨーロッパ系も含めて10を超える「民族・人種」が収容され、女性は居留施設内で、男性は「村落」で出身地別に集住することになっていた。そして、それら集団間は、日常の労働やクリスマスやスポーツ競技会といった行事を通して交流を深めるという仕組みであった[Stella 1978]。
 本発表では、イギリス領南太平洋の領域内でのハンセン病管理とこのような収容施設での設計された秩序のあり方を取り上げながら、そこでの「民族(nationality)」あるいは「健康(health)」という異なる差異のもつれ合いについて検討する。これにより、イギリス領南太平洋におけるハンセン病対策の歴史的実態を紹介するとともに、今日の社会福祉を軸とした国民国家のあり方とは異なる公衆衛生を軸とした植民地社会のあり方を描き出していきたい。
 なお、本発表に関する調査は、すでに公開されている既存の史料を中心に行われ、一般公開されていない個人的な情報が含まれる史料を用いる場合は、個人が特定されるような情報は一切発表せず、対象者の匿名性を確保する。また、表記等では、差別的表現に注意を払いつつも、研究の性質上、原則として史料に記載されている表記に倣い、必要に応じて原語表記を付記する方針とする。

<文献>
Moran, M. T.
 2007 Colonizing Leprosy : Imperialism and the Politics of Public Health in the United States. University of North Carolina Press.
Stella, M.
1978 Makogai, Image of Hope : A Brief History of the Care if Leprosy Patients in Fiji. Lepers’ Trust Board, New Zealand.



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